CLANNAD感想

結論から言うと、残念な感じ。最終回前までは楽しく見れてたんですが。


生き返りor巻き戻り、それ自体は別にいいんですよ。よくある予定調和な展開だし、そういう結末になるであろうことも容易に予想できた。みんなハッピーエンド好きだしね。
問題は、その奇跡にどういう意味を持たせるのか、という点。あえてそこまで大仕掛けの奇跡を出すのであれば、相応の理由付けが(SF的考証や原理についての説明としてではなく、物語の意味として)必要になる。というか、逆にそこに物語としてのテーマ・メッセージを込めないのであれば、非常に安っぽい話になってしまうわけで。
巻き戻り後の世界における朋也と渚の述懐では「街は大きな家族であり、人が街に貢献することで街も人に応える」的なことを言っており、文脈的にはこれがそのテーマなのだろうとは思いましたが、しかしいまいちピンと来ませんでした。
というのも、もしこの奇跡が「街が人に応えた」結果なのだとすると、この奇跡が起きる直前までで「人が街に貢献する」条件を満たしているのが条件なはずで、巻き戻り前の世界で渚が亡くなった後、一旦は自暴自棄になり汐を遠ざけた朋也が汐と再び家族になり父親と和解するまでの流れは確かにそれっぽくはありますが、ではなぜ汐が亡くなるまでの流れが必要だったのかが疑問になるからです。父親を送り出した後、汐が光の玉を見つけるあたりで巻き戻ればいいでしょ、という。


で、原作ゲームではそのへんどうなのかと気になっていろいろ調べてたら、アニメ版はゲーム版とタイムラインの描き方が違ったのね。
どうやら原作ゲームでは、他キャラの絡んでこない渚ルートが最初にあって、渚と汐が共に亡くなるところまで進む。その後、一旦最初の時点に戻って、同じ時間を今度は他キャラを絡めつつ経験していき、他キャラとの関係性の中に隠されたフラグを達成するたびに光の玉を得ることができ、それが全て揃うと、渚も汐も亡くならない展開になる、らしい。
この構造を整理すると
1回目前半=他キャラと絡まず → 1回目後半=渚・汐ともに死亡
2回目前半=他キャラに絡む  → 2回目後半=渚・汐ともに生存
という対比になっており、後半の違いを生むものが前半の違いであることは明確で、これは確かに上述のテーマとの整合性が取れた物語になっています。つまり朋也と渚の2人だけで閉じててはダメで、他のキャラたちを幸せにする=街に貢献することで、訪れるはずだった不幸を回避するという奇跡が起こる、という理解ができるわけです。


それを認識した上で、アニメ版はどうかと改めて見てみると、ゲーム版の2回目前半として物語を始めておきながら1回目後半の展開に接続し、それが終わったらいきなり2回目後半の展開に巻き戻ってる格好です。1回目前半が完全に捨てられていて、その前半部の対比にこそテーマ性を明確にする機能があったわけですから、これじゃあアニメ版ではテーマ性がボケてしまっても仕方がありませんね。
これは単に最終回で失敗してると言うより、シリーズ構成がそもそも原作のテーマ性を描けなくしてしまっていると考えるべきでしょう。と言うか、最終回前までは素晴らしい作品として見れていたということは、2回目前半および1回目後半に相当する一連の話は(それぞれの中で完結している限りにおいて)非常にクオリティが高かったわけで、むしろその並べ方を誤ったシリーズ構成だけが、作品全体を残念なものにした原因であると言えます。


ではどうすればよかったのか。
今さら言ってもしょうがないことではありますが、1回目前半を捨てないシリーズ構成にすべきだったのでしょう。しかしこれは困難を極めると思います。ゲーム版の展開どおりに1回目前半から始めたのでは、視聴者はしばらく渚しかヒロインが出てこない話に付き合わされることになります。商業アニメ的にはつらいですよね。原作ゲームが「アニメ化は不可能」と言われてきた所以がわかります。
そこで思いついたのはハルヒ方式。アニメ版CLANNADは2クール×2期=4クールあったわけですが、1期目でゲーム版1回目前半と2回目前半の話を、ハルヒみたくごちゃまぜにやってはどうかと。実際のアニメ1期目もヒロイン別の話が数話ずつあったわけだから、朋也・渚・春原しか出てこない素朴な回と、そういうヒロイン別の回とを順番ごちゃ混ぜで(視聴者が混乱しないようにサブタイトルに「○○編1」とか明示して)やる。そんな感じで進めていき、ヒロイン別の話は消化しきらないまま、文化祭(ゲーム版2回目に相当する)で1期目を終わらせる。2期目はまずゲーム版1回目後半(朋也の卒業あたりから)を全部(汐が亡くなるまで)やる。その後で、ヒロイン別の話の結末(ゲーム版2回目前半に当たる)をそれぞれやって、それらの話で光の玉が現れるのを描写する。このあたりで事情を知らない視聴者は混乱するでしょうが、最後に2回目後半の話に入って、その中で、実は今までの話は並行する2つのタイムラインを重層的に進めたということをほのめかす。そしてその2つの違いが何であったかを、1回目前半と2回目前半をそれぞれ描いた回について回想させて対比させることで、テーマを浮き彫りにする、みたいな。
ま、全部妄想ですけどね。



最終回単体で改善すべきところを挙げるとすれば、最後の風子の天丼がくどすぎるのをやめたほうがよかった。尺として本編の20%くらい使ってたからねぇ。奇跡からの流れでテーマの印象が薄かったながらも微かに感じられた余情が、あそこの流れで台無しになりました。


出崎統監督の劇場版は、また違った形でこの物語を描いているそうなので、機会があったら見てみたいと思います。