天罰とか軽々しく言うな


石原都知事天罰発言は、ことさらに被災者を貶める主旨では無かったのだろうという指摘もあるけど、それでも擁護はできんでしょ。


「エゴな民衆が利己的な動機で民主党を選んで、結果、災害対策費を削ったために今回の被害が大きくなった」というのは、現状の理解の仕方の1つではあるだろうけど、(その理解が正しかったとしても)政治家の立場でそれを天罰という言葉で表すのは色々な意味で不適切だと思う。
限られた予算の配分において災害対策費を削って他に充てた政策が、はたして妥当だったのか不当だったのかはきちんと検討されるべきではある。しかしこの天罰発言は、実際に大災害が起こったからといってそれにかこつけて「不当だ」という自説を感情的に煽って、議論を経ることなく自説が正しいということにしようとしてるだけ。権力を持った立場の人間が、実際の状況や様々な意見を客観的に俯瞰して結論を決めるのではなく、自身の好みに沿った材料だけを根拠にして結論を決めてゴリ押ししようとするのだから、たまたまその結論が(結果的にでも)本当に適切ならばいいのだけれど、間違ってたら大変な損失になるよね。で実際、オリンピック招致とか新銀行東京とか三宅島バイクレースとか、この人はそういうワンマンなやり方で失敗しまくってもいるわけで、ある意味この発言に政治家としての不適格さが如実に現れてるとも言えるんじゃないの?


加えて今回の場合、その自説の主張のために援用してるのが、発生して間もない、まだ数多くの被災者が苦しい生活をしている大災害なわけでしょ。それも、自説で糾弾しようとしている政府の失策という人災の側面と、地震津波という誰のせいでもない天災の側面とを、乱暴にひっくるめて天罰と称してるわけでさ。「ざまーみろ」とは言ってないかもしれないが、「お前らの苦しみは民主党とその支持者に由来する」と言ってるようには聞こえかねないし、「民主党支持者が被災して苦しむのは自業自得だよね」とも受け取られかねない。本来ならば、市民全体=自分と政治的信条を異にする者や自分にとって敵対的な者までも含めた全体の利益を考えるべき首長の立場にある人物が、災害をダシにしてこういうことを言うのは許されないと思う。


もちろん「日本を糺すきっかけとしての天罰に見えた」ってのは、個人的な納得や了解としてなら、思想・信条の自由の範囲ではあると思うけどね*1。しかし被災者やその周囲の人々の立場からしたら「じゃあ我々は護国のための生贄か」って話でね。自身の信ずる清浄な世の中を至上とし他人の命を軽んずる態度は、政治家としてでなくとも、他人から倦厭・侮蔑されるものではある。


まあ最終的には謝罪したってことなんだけど、この発言も「言い方を間違えた」類のものと言うよりは「心性が現れた」類のものなので、謝罪したとしても当人の政治家としての不適格さは変わらず、といったところ。
都民の皆さんは次もこの人にするんですか?

*1:民主党を選んだことが原因で最大規模の地震が起きるなら、今ごろ都庁の知事室にはブラックホールでも発生していないとおかしいだろう、とも思いますが。