極論はスルーするメソッド?

極端な比喩は真面目に取り合うなというお話。
「資本主義をやめたら江戸時代に戻ってしまう(ので資本主義はやめるべきでない)」との主張に対して、そのような比喩の突飛さを指摘し反論するよりも、「江戸時代に戻ってもいいじゃない」と返すべきだとか。
しかし、ブクマコメにも散見されるように、「江戸時代に戻ってもいいじゃない」との反論によって反論者が何を浮かび上がらせようとしているかという意図が汲み取られず、その反論をその言葉通りの発言主旨として受け取る人も少なくないんじゃないかなと。元発言者自身がそのようであれば議論自体が発散してしまう危険があるし、あるいは元発言者自身が理解してもそれを見ている第三者には「資本主義をやめようとの主張は極論である」との印象操作が成功裏に終わってしまう危険があり、本当に巧い手なのかしら?と少し疑問に思う。
そもそもそのような元発言が飛び出てくるということは、少なくともその場においてはその発言の突飛さを認識せず何かしらの説得力を感じてしまう人(発言者本人なり聴衆なり)が少なからず居るわけで、そのような場においてそういった人々に聴かせる反論として妥当なのかどうか。その反論の主旨が理解できる人なら、そもそも元発言自体の突飛さについて指摘されるまでも無く認識できているはずであって、そうでない人々、すなわち反論を聴かせるべき人々に対してその反論の発言主旨が届くのかは疑問です。
「この反論の主旨を理解できない人々はリテラシーが低く愚昧である、度し難い」と断ずるのは容易だろうけど、そういう人々(おそらく多くのケースにおいて私自身も含まれる)を巻き込んでこそ政治を動かすことが容易になるのだから、言論によって何かを変えようと思ったら(それがどんなに不毛であっても)馬鹿にでも通じる言葉を選んだほうがいいのではないかと。