みんなちがってみんないい

理系・文系のステレオタイプの件
元記事中では理系・文系の違いは無いってことを主張してますけど、ちょっと違和感があります。少なくとも、継続的に行なわれる学習内容についての分類であるから、血液型よりは分類としての意味はありそう。


実際のところ、自分は数学畑の出身ですが、物理畑や工学畑の出身の人たちといっしょに仕事をしていると、自分と異なる考え方を提示されて「へ〜そういうアプローチするんだ〜」と驚き感心することが少なくありません。それはその人の独創性というよりは、その人の学んできた専門領域における定番・定石として学び取られたものだということが容易に想像でき、そういうときに分野ごとの考え方の違いみたいなことを意識します。
同じ理系分野の中においてすらそうですから、理系と文系という大きな括りで見れば、それぞれに属する人間の能力適性は大きく異なっているという見方のほうが、自分には自然に感じられます。まあ、大学入試時の成績なんかで見れば大差は無いかもしれませんが、異なる分野で学位を取った者どうしの比較では如実に現れるのではないでしょうか。


とはいえ、そんなのは私の個人的な経験と感覚なので、一般化して話すようなことでもなければ断言もできないんですけど。むしろ言いたいのは、ここでするべきは「理系と文系には差なんて無いんだ!」とムリヤリにでも主張するようなことではなく、「仮に理系と文系とで差があったとして、それがいったい何なのだ?」と問うことなのではないかと。
学んだ分野によって生まれる差異は能力適性の違いでしかないわけであって、そこに貴賎を持ち込むというのは、秀でている部分を評価せず劣っている部分をあげつらう態度に他ならず、すなわち最初から相手を貶すことを目的とした行為なのです。
あるいは、その能力適性の偏りによって作業上の失敗をしてしまったことに対して「だから理系は〜」とか「だから文系は〜」とかいう言辞が出てきたのだとすれば、それは的外れです。そのような場合には、能力適性の偏りそのものが問題だったのではなく、その能力適性と作業内容との不一致を予見できなかったこと、予見していながら能力開発や配置転換などの対策を講じなかったことが問題なのであって、そこを反省しなければいずれ同じ過ちを繰り返します。「だから理系は〜」とか「だから文系は〜」とか言ってるぶんには発言者の気は晴れるかもしれませんが、それで満足してしまっては何も反省に繋がらないでしょう。*1


実のところ、自分は子供の頃から極度のインドア派だったので、逆上がりはできないし25m泳げるかどうかも自信がありません。これも能力適性の偏り*2ですが、そのことをもって私のことを何か格下だとみなすような人に対しては「優越感ゲーム楽しんでますね」くらいしか、かける言葉はありません。私のいいところを評価してくれる人たちと仲良くしていきたいものです。

*1:マネージャーがこういうことを言い出すとしたら、自分が行なったマネジメントについての責任逃れです。本人はそのことに無自覚かもしれませんが。

*2:ステレオタイプで言うなら文化系vs体育会系?