推理は不毛

アニメうみねこepIIを見て混乱した人達が多数いたそうで。
前作ひぐらしでは雛見沢症候群なんてのがあったくらいだから、本作でも六軒島症候群なんてのがあってもおかしくないわけで、特に今回のエピソードではバトラの心が既に折れてたっぽいことを考えあわせると、劇中の描写の大部分を幻覚や幻聴として片付けてよいかと。


そもそも作品全体として、劇中描写をどう解釈するのかについては、私としては「ベアトリーチェ側の主張を全面的に取り入れて作られた、事件についての再現映像」くらいのつもりで見ています。問題は、描写に虚実が入り混じっていて、どこまでを本当のこととして扱っていいのか切り分けできないこと。そこで重要なのが、赤の真実ってやつになるわけですが、逆に言うと(前述の症候群の件もあるので)赤字で言及されていないことは何でも疑いうる、ということになります。


そうなると、例えば今回のエピソードの推理対象となった「5つのマスターキーとジェシカの鍵でしか開かない」密室なんかも、その裏を読んで「赤字は時を限定してないから『犯行当時には7本目の鍵があったんだけど今はその鍵が破壊されてて使えない』であれば辻褄は合う」などという説が出てきたり。これはもう推理じゃなくて言葉遊びですよね。
他にも「それぞれの所持する6本の鍵のうち1本を(扉を開けない)ニセモノにすりかえて犯人は使用した」とか「刺されて逃げ込んだジェシカが自ら鍵をかけて事切れた(カノンはそれ以前に殺され運び出されている)」とか「出入りが禁止されてるだけで、屋根裏や隣室からクイを射出して殺すことはできる」とか、要は赤の真実さえ守っていれば何でもいいので、考えようによっては推理の縛りが無さ過ぎるんです。


なので、本作について何か系統だった推理をしようとするのはいささか不毛なように思われるので、よっぽど暇を持て余しているのでもなければ、(推理モノとしてではなく)素直に伝奇モノとして楽しんだほうがいいと思います。