中の人なんていない

美少女着ぐるみカフェの件。
メイドカフェ的な商売全般について否定的な私としてはスルーするつもりでしたが、的外れな意見が多く目に余るので触れておきます。


結論から言えば、「中身が年頃の女の子じゃないかもしれない」ことをもって「これはない」とか言ってる人は、2次元オタクに向いてないと思う。


そもそも我々がアニメ・漫画・ゲームのキャラクターに心をときめかせるのは、表現された・具現化された像そのものに対してです。例えば、エロゲのヒロインなんかは、男のプロデューサーが原案を出して、男の絵師がデザインを起こして、男のシナリオライターが具体的な言動を記述して、男の原画・着色がイベント絵を描いて、30代とか40代の声優さんが演じていたりするわけで、そこには年頃の女の子の関わる要素なんて皆無ですが、そのことと、それによって現出したキャラクターに心ときめくことは無関係でしょ。
だから、この企画に対して「中身おっさんだろ、こんなのに萌える奴はおかしい」と批判するのは、「男の描くヒロインなんて全て妄想の産物じゃん、きめぇ」とか「子持ちオバさんの演じるキャラに萌えるとかありえねぇ」とか言っちゃうのと同列です。そういう立場を貫く人もいるでしょうが、まあ2次元オタクには不向きでしょう。そういう人が仮に何らかのキャラに萌えたとしても、それはそのキャラに「そうであってほしい生身の女の子の理想像」のようなものを仮託しているだけであって、どこまでいっても「こういう女の子が現実に居たらいいのになあ」に過ぎず、純粋に「このキャラが好きなんだ」ということにはなりません。


「そうは言ってもアニメ・漫画・ゲームと違ってこれは実体じゃん、中身は人じゃん、いま目の前にいるその相手に萌えたとして、その中身がおっさんなのかもしれないんだよ?」と思うかもしれません。この点については、伝統芸能の中に、女形という良い先例があります。歌舞伎において男性が女性を演じる場合、観客はそれと知ってなお、その演技の女性的な艶やかさや細やかさに魅了され見惚れるわけです。この企画、あるいはもっと広く美少女着ぐるみというもの自体も、このように考えるべきではないでしょうか。


もちろん、技術的な巧拙についての議論はあっていいと思います。中身が男性であるがゆえに「体臭がキツい」とか「体つきがイカつい」とかがあって、結果として「可愛く感じられない」というのであれば、それらは批判の対象になってしかるべきです。「顔の造形が甘い」とか「生地が安っぽい」とかの批判と同様に。
裏を返せば、中身が男性であっても、きちんと可愛く演じられているのであれば、それで何も問題ないでしょう。


要は、美少女着ぐるみによって表現されているキャラクターそれ自体が可愛いかどうかが論じられるべきであって、その際に、その中身が年頃の女の子であるかどうかは直接には問題にならない、ということ。


長々と書きましたけど、同様のことを端的に指摘するレスがありました。

134 : アルコールランプ(アラバマ州):2010/02/02(火) 19:35:31.14 id:tmKZBArI

これは正統な虹ヲタを判別する試金石。
中の人にこだわるヤツは結局、3次の人間。
ネズミーランドでネズミの着ぐるみに抱きつける女子供のような純粋さがないと
虹はやっていけない。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1406872.html


こういう奴がいるから2ちゃんねるは侮れねぇw