免責される理由が無い


F氏が何事かつぶやいていたら、通りがかったM氏が突然絡んできて口論に発展。それは冷静な議論などではなく、M氏からは罵倒じみた言葉も出てくるような内容で、F氏はそういった言葉を向けられることを不快に感じていた。
そこへ通りがかったS氏、「この口論の内容はより多くの人に知られるべき!」とばかりに手に持った拡声器でその口論の内容を逐一周囲に伝え始めた。それもM氏の言い放った罵詈雑言までもそのまま盛り込んだ形で。その姿は何かはしゃいでいるようでもある。
これに我慢ならないのはF氏。「M氏から私に向けられた誹謗中傷を、なぜあなたは面白おかしく読み上げ、どうしてより多くの人の耳に入れようとするのか」と抗議するも、S氏は「あなたにも拡声器をお貸ししますよ?M氏の主張に対する反論があるなら拡声器を使って反論すればよろしい」とどこ吹く風。「いやいや、M氏に乗っかってあなたが私に個人攻撃したことを問題にしてるんだけど?」とF氏。「M氏への反論の機会がどうのこうのではなくて、あなたが私に対して行なったことについてあなたに謝ってほしいだけ」と言葉を継ぐも、S氏はその意味が理解できていない様子。「結果的にM氏の主張のみを一方的に伝えた形になってしまったのは遺憾」などと、官僚のような弁明をしてバックレるのでありました。


ここでS氏(およびS氏を擁護する向き)は、2点ほど勘違いしていると思われる。


拡声器には責任能力はない。意思を持たない単なる道具だから、それ自体は価値中立的とも言える。もしM氏が、たまたまそこにあった拡声器を拾い上げてF氏への個人攻撃に利用したとしても、それはそこにあった拡声器の責任ではなく、M氏の責任になる。
しかし、意思を持った人間が、M氏の発言にF氏への罵詈雑言が含まれていることを知りつつ、その発言を拡声器を使って代読したら、あるいは拡声器をM氏に渡して使うよう促したなら、そのような行為をしたことの責任は(M氏ではなく)その当人に帰する。
S氏は「自分は単なる拡声器と同じように振る舞っており、ゆえに価値中立的で公平だ」と考えているようですが、拡声器は自らの意思で誰かに使われに行ったり誰かの主張を代読しようとしたりはしません。F氏とM氏の口論に注目しそれを大々的に取り上げるべく自ら動いたのであれば、その時点でそこにはS氏の意思が介在しており、その責任は当然にS氏に帰する。これが1つ目。


2つ目は、「反論の機会が用意されてさえいれば、どんな罵詈雑言も許される」などということはないという点。相手を傷つけたり名誉を貶めたりする言葉は(特にそれが公益性のある議論に寄与しないものであれば)単なる人権侵害です。具体的にどのような発言がそれに当たるかについては、その発言が出てきた個別の文脈に応じて検討される余地がありますが、何にせよ「お前も反論できるんだから悪口ぐらいいいだろ」というのは(道義的にも法的にも)一般的には通用しない主張です。


誰かの言動や事件を能動的に追っかけて取り上げるかぎり、(そうする人の)恣意性からは逃れることができない。公平中立を目指すのなら、その恣意性に自覚的になり、どう伝えればいいのかについてかなり注意深く考える必要がある。それでも完全な公平中立とはいかないでしょう。結果的に、伝えようとする人の良識やバランス感覚が透けて見えて、それがメディアの信頼だとか品格に繋がっていくんじゃないかと。
まあ少なくとも「リングを用意したのでここで戦ってください!」みたいな方法論は、お手軽にオープン性や公平中立を標榜できてるように見えて、実質的には(当事者達がそのリングに上がることを望んでいない可能性を無視しているという一点だけ見ても)公平でも中立でもないわな。


※このエントリはフィクションであり、実在の人物・団体・事件等には一切関係がありません。