わざと苦しむ理由はナニ?


被災地の苦労を知らしめるべく給食を一品減らした学校のお話。昨日の話もそうだけど、「苦しんでる人と同じ不幸を積極的に味わおうとする」ことが美徳であるかのように語られるのは何なの?
こういうときパンプキンシザーズの一節を引用して、「苦しんでる人は助けてもらいたいのであって、同じ苦しみを味わって欲しいわけじゃないだろ」ってカウンターが当てられることが多いですが、ぶっちゃけ、苦しまなくてもよい立場の人がわざわざそうやって苦しんでる人のマネをするのって当人のレクリエーションでやってるだけだよね。いっしょに苦しんであげるワタシって善良〜って酔ってるだけ。何で楽しもうが自由だけどさ、苦しんでる人の事をダシに使ってるだけに物凄く悪趣味だと思う。そんなことする余裕があるなら、より実効的な方法で救いの手を差し伸べてあげればいいのにね。
今回の件に関しては、子供への教育の一環っていう建前もあるのかもしれないけど、実際に給食を減らすことによってしか、給食が不足してる地域を助けようという気持ちを教えられないのだとしたら、その時点で教育の失敗だと思うなあ。自分が困った経験のないようなことについて困ってる人に対しても想像力を働かせ、進んで手助けしてあげられるよう育むのが、本来目指すべき道徳教育なんじゃないの?たとえ「身をもって感じさせる」教育のためであっても、同じ苦しみを味わうことを善行であるかのように学校で教えることは、前述のレクリエーション精神を再生産させるだけで、慈善活動に本当に必要な、自分の立場から誰かを助けるという精神が養われるのを阻害さえすると思う。