みんなで幸せになろうぜぃ


ここのところ「子の収入が十分なら親は生活保護を受けるな」と騒がしいですが、皆そんなに「ぜひとも自分の身銭を切って親族を扶養したい!」って思ってんの?
自分自身について言えば、自活できる一般的な水準より多めには収入を得てはいるけど、仮に今の収入のままもう一世帯を扶養しろ・支えろなんて言われたら、私自身も貧困層と変わらないカツカツの生活にならざるを得ないでしょうね。同じような立場の人は多いはずで、もし「生活保護受給の前にまず親族が金を出せ」という理屈を一般化していったら、貧しい親族を扶養するために自らも貧しくなってしまう世帯が(裕福な親族が貧しい親族の生活水準を引き上げる事例よりも)増えてしまって、貧困はよりいっそう広がるだけなんじゃないかという気がしますが。
加えて言えば、親族間の人間関係は必ずしも良好とは限らず、もしそこに親族間の扶養義務の徹底を持ち込んだ場合、収入ある親族がいるがゆえに生活保護受給できないにもかかわらず実際にはその親族からも支援を受けられないような事例だって起こるだろうし、あるいは扶養するよう強制したところで軋轢は深まるばかりで、全員が不快な思いをしながら続ける互助でいいのかという話もある。


確かに、「生活保護受給の前にまず親族が金を出せ」という論理は、一見して孝行の倫理観にそっているように見えますが、制度としてうまくまわるようなものではない、政策論としては筋の悪い主張のように思います。「それだけ金を持ってるのに親孝行しないのか」というのは個別の事例に対する素朴な道義的批判としてはありえても、一般的な制度論として語るには粗すぎるでしょう。


いったん税金という形で各人から富に応じた金額を徴収し、それを貧困層に再分配する生活保護という制度は、税の徴収に累進性が働くことで支援する側の負担が調整されるから上述した貧困の連鎖のような問題は起きにくく、また支援する側とされる側の直接的な人間関係を媒介としないため軋轢も起きにくい、言わば親族間互助の無理を克服した支援制度として存在するわけだから、ここで批判の根拠となっている「親族間の扶養義務」自体をむしろもう法律から削除しちゃって、生活保護には親族の扶養能力は関係無しにしちゃったほうがいっそスッキリするんじゃないでしょうか。その場合、受給を申請した者の経済状況さえ調べれば合否の判断を下せるから、わざわざ扶養義務者の所得を追跡までして受給の合否を判断する場合と比べて行政コストを減らすことにもなるし。扶養義務者の有無に関わらず支給することにより膨らむぶんの予算は高額所得者への課税の累進性を高めることで対処すれば、「それだけ金を持ってるのに〜」という点についての答えにもなるでしょう。


この件について煽っている政治家は福祉予算の削減を目論んでのことだろうと思いますが、その煽りに乗って「まず親族に養ってもらえ」とか言ってる人たちが多いのは、やはり現在の不景気が影響しているものと推測します。つまり、自分達は必死に働いても大した金額をもらえてないのに、働いてない奴が簡単に生活保護を受給できるのはおかしい、というような感覚が根底にあるのでしょう。でもそれなら、生活保護支給を厳しくして皆で貧乏になるような政治的要求をするよりも、経済を上向かせて皆で裕福になるような政治的要求をするほうが、もっと有意義なんじゃないでしょうか。いち芸人を罵るのにこれだけ大騒ぎする一方で、政府や日銀に対する批判が全くその勢いに及ばないのは、不思議でなりません。