自浄できなきゃ介入やむなし


賛否両論の噴出している、桜宮高校の体育科入試中止の件。普段は橋下市長の政治に否定的な私でも、本件についてだけは橋下市長の言い分のほうが共感できる。


「受験生は何も悪くないのに」と、入試中止を批判する声も多いですが、むしろこれは受験生のことを考えてのことでしょう。橋下市長は「受験生は生きているだけで丸もうけ」と発言したと伝えられてますけど、これは別に「自殺した生徒に比べたら生きてる君達はそれだけで幸せなんだから我慢しろ」という意味ではなく、暗に「今のままの桜宮高校に入学したら君達も自殺させられるかもしれないんだよ?」「死ぬために入学するくらいなら入学できないほうがまだマシでしょ」って意味なんじゃないかと。つまり同様の事件が再発する可能性・蓋然性が高すぎて新入生を迎えるなんてとんでもない、と思われるほど、学校の現状を深刻に捉えてる、ってことですね。


「それにしても方法が強引過ぎる」「もっと穏当な改善策ができるはずだ」「市長が介入するのは越権だ」って批判もありますが、今までそれじゃダメだった悪しき実績があるから。これまで学校の自治教育委員会の監督に任せてきた結果、長年にわたってこのような体罰が正当化されてきてしまっていて、本件以外にも何回か問題化しているにもかかわらず正されることが無く、むしろ隠蔽に走りさえした。自ら襟を正す機会は今まで十分に与えられてたのにぜんぜん改善しないどころか、悪化してるよねっていう。その帰結としての生徒の自殺であると考えると、さながら執行猶予期間中に凶悪犯罪を起こしちゃったようなイメージで、それだともう強権的に変えるしかなくなる。橋下市長があわせて主張している教諭の総入れ替えなんかも含めて。
だから、橋下市長の介入をよく思わず、それを阻止したいのであれば、最低限、まず学校や教育委員会が自ら大ナタを振るって改革する姿勢を示さなければならなかった。「これまで酷かったことは認めたうえで、これからは完全に心を入れ替えます」と(外部から指摘される前に、自主的に)できなければならなかった。
しかし実際は、学校からも教育委員会からも改善に関する自発的な発信はないままだし、それどころか現状を肯定するかのような会見を生徒にやらせたり、体罰教師を擁護する声が在校生・OB・父兄からも出てたりする。橋下市長は入試中止の理由を「黙認の連続性を絶つため」とも言っており、顧問・教諭・教育委員会だけでなく、こういった在校生・OB・父兄らの風潮も問題視しているようで、であれば、こういう傾向がどんどん明らかになるにつれ、よりいっそう「この学校での体罰容認の風潮は完全に危険域に達してる」という思いは強まるし、なおのこと抜本的な改革が必要だろうという認識は深まるでしょう。
こんな調子では橋下市長の意志を変えるなど到底できず、むしろ強固にするだけ。いっそ廃校にしますと言われないだけ優しくね?と思えてくるほど。


入試中止決定の具体的な中身に関しては「体育科→普通科と名称を変えても、試験内容を変えないなら看板の架け替えだろう」という批判もありますが、入学後のカリキュラムについてまで従前どおりという話にはなっていない(もしかしたら今後そこも問題として挙がってくるかもしれません;少なくとも部活動を必修科目扱いからは外すべき)ので、全く無意味ということはないでしょう。「連続性を絶つ」ための最初の一歩といった感じ。じゃあなぜこんなところから手をつけたかと言えば、時期的に入試が迫ってるから、それこそ受験生への影響を考えて真っ先に手をつけざるを得なかったのではないかと。
これで一段落というより、ここからが本番なのではないでしょうか。