偶像は二次に限る


AKB峯岸の丸刈り謝罪の件。
本人が自発的にやってるから〜ってのは、従業員に対する人権侵害的扱いを糾弾されたブラック企業がいかにも言いそうな言い訳だな、と思うわけですが。


もともと日本のアイドル業って「みんなの恋人」たることを演じてオヒネリを貰ってる側面が強くて、「みんなの恋人」=「誰か1人のものではない」ことを示すためには、誰とも深い関係を持たないor誰とでも深い関係を持つ、の二択しかない。古代社会における巫女のような立ち位置と言えば聞こえはいいかもしれませんが、そのように抑圧された存在が今なお社会から必要とされ制度として存続しているのだとすれば、日本はまだまだ古代社会と大差ない、未開の蛮族が住んでる土地だと言って差し支えないでしょう。
だいたい、そんな神職めいた過酷な立場を要求している中にあって、当のアイドル達はそれ相応に報いられているのかね?ということもある。スタッフがどんだけ上前をはねてるのかは知らないけど、ファンは握手権のためにCDを何枚も買うほどの経済的余裕があるのなら、握手は1回だけにして、そのぶん浮いたゲンナマを、その1回の握手のときに直接アイドル本人に手渡せよ、とすら思うなあ。それだけのことを相手に要求してるんだから。


日本のアイドル業におけるそういった抑圧に加えて、AKBの場合は、その抑圧された環境に置かれるメンバーの悲哀すら商売の道具に仕立てているところが輪をかけておぞましい。メンバーの痛々しい姿・生々しさが、ファンにとってはあたかも美談のように映り求心力になるだろうってことなんでしょうけど、それを象徴するかのようなキャッチフレーズ「少女たちは傷つきながら夢を見る」と言ったとき、傷つけている主体は誰なのか、深く考えないような人達が大勢いてファンをやっているのだとすれば、そりゃー儲かるよなー。


そういった諸々が、件の謝罪動画で顕在化しちゃってるんだよね。ファンに許しを請うために丸刈りにする・それは本人の決めたことだからと元締めが逃げを打つ・でも公式チャンネルで全世界に発信しちゃう、という一連の流れは、上述した気持ち悪さをそのまま濃縮したかのような経緯だわな。しかも、今回のことで何が変わるでもなく、恐らく今後もいろんなことがそのまま存続していくのだろうという・・・ああ恐ろしや。