ガルパン感想


ガールズ&パンツァー最終回、いやぁ〜メチャクチャ面白かったですね。4話以降ずっと上り調子で面白くなってきてて、そのうえ放送延期で否が応にも期待が高まってたところ、その期待を十分に満足させる仕上がりでした。冬期アニメの最終回シーズンでありながら他作品を差し置いて話題に上りまくる秋期作品パネェw
やはりクライマックスは姉妹の一騎打ちでしたが、単にそれだけだと「けっきょく主人公チームが首級取って勝つんじゃ他の仲間いらねーじゃん」ってなるところ、その一騎打ちの状況を作り出すために仲間達の協力が不可欠だったって形をきちんと描けているのは素晴らしい。前回仲間を見捨てなかったことが活きてるし、その一連の流れの中で全員に見せ場を与えることができてるしね。そのうえで全編に渡って映像のクオリティも高いから、まったくもって完成度高い最終回だったなあと。


シリーズ全体として、戦車という題材を取り扱っていながら筋立てはスポ根モノであり少年漫画的王道だ、という評はよく耳にしますけど、武道モノという観点からするとかなり挑戦的なことをしてるんじゃないかなーと思います。


武道と言えば、その多くは戦場での命のやり取りの技術として発祥し、後世へと受け継がれ続ける中である種の形式として洗練されていき、平穏な現代に至ってはその実利的な側面(=戦闘技術としての有効性)よりも礼法や精神性などを重んじる、伝統と格式の体系となっているもの。そういう意味ではこの作品に登場する戦車道もまた紛れも無くそのうちの1つと言えます。つまり戦争のための戦術として発祥した戦車運用のノウハウが、時代を経て現代に伝えられていく中であのような形になっていて、みほの母しほの言動にも見て取れるように、古式ゆかしい戦車運用のドクトリンこそ伝統と格式であるとして重視されている。しほだけではありません。スタッフの公式発言にもあるように、みほ達と対戦する各学校は、いずれもそのモチーフとなった国の戦車運用のドクトリンに基づいた戦い方をしていて、その対戦相手のいずれもが、みほ達の戦い方に驚愕(そして称賛)している。総じて、古来のドクトリンに従って戦うのが当たり前とされてきたのがこれまでの戦車道であったことが見て取れます。
しかし、それらのドクトリンは本来は戦場における最適解として*1練り上げられたものであって、現代の戦車道という枠組みにおいては必ずしも最適解なわけでもないんですよね。実際の戦場では歩兵との協同も考慮しなければいけないし航空機の存在も忘れてはいけませんが、戦車道においてはそれらの要素はいっさい関係せず、またフラッグ車ルールでは彼我の損耗率の差は直接には敗北に繋がらない(どんなに損害が大きかろうが先に目標を倒したほうが勝ち)。多くの点において実際の戦場と戦車道は違っており、それゆえ実際の戦場から発祥した各種ドクトリンは戦車道においては多くの無駄や隙を孕みうる。みほ達はまさしくそこを突いて勝利してきたわけですね。古来のドクトリンに縛られることなく、戦車道のルールの中でできることを全部やって勝利を目指す。しかしそのような戦い方は、しほには邪道に見える。「ルールで許されてるからといって何でもして、伝統と格式を蔑ろにするのか」と。


これは現実の武道にも見られる構図ですよね。ある武道を競技化する際、ひとたびルールが策定されてしまうと、元となった武道における暗黙の了解というか、武道家たちの考えていた「かくあるべき姿」というのが多かれ少なかれ損なわれてしまう。
柔道を例に挙げれば、国際的なJudoというスポーツになっていくにあたり、必ずしも一本勝ちを狙わなくてもよいルールになりましたよね。それゆえ海外の競技者を中心に一本勝ちにこだわらない戦い方が広まり、そのような有様が「ポイント柔道」などと揶揄されてきたような経緯もあります。そのように否定的に見られた原因は、もともと柔道を志していた人たちにとって美徳とされるような戦い方が、策定されたルールの内容に十分に反映されなかったためでしょう*2


で、ガルパンに話を戻すと、みほ達の戦い方はこの「ポイント柔道」側なわけですよ。これはねー、実在の武道を題材にしてたらなかなかできないんじゃないでしょうか。その武道の関係者・関係団体の反発必至ですもん。ロケや取材なんて応じてくれそうにもなかったり。
本作においては、題材が戦車道という架空の武道だったからこそ、そういう軋轢を生むことなく、そういう戦い方をする主人公たちを肯定的に描くことができた、という側面があると思うんですよね。
そしてそのような描かれ方の中にどのような主張が込められているかというと「武道は伝統や格式から脱却して、カジュアルなスポーツとして楽しまれる方向もアリなんじゃないの?」ということではないでしょうか。戦車道の公式戦ルールも、そういうルールのものとして虚心坦懐に受け止めれば、確かに古来の戦車運用のドクトリンとは間違いなく別物ではあるけれども、別物なりの面白さがあろう、と*3。カラフルにカスタマイズされた戦車を見て「戦車道で面白いと思ったの初めて」と言うみほ*4や、西住流の正統的な戦い方をする姉まほとは違う戦い方だったと言及した上で「面白かった」と述べたダージリンや、敗北しながらも「私達は戦争をやってるんじゃない、戦車道をやってるんだ」と明るく言ってのけるケイなど、戦車道を古めかしい武道としてではなくカジュアルなスポーツとして捉えなおし楽しもうとする態度を象徴するようなシーンが、いくつも見つかります。


西住みほを天才軍師のように呼ぶ向きもありますが、以上のように考えてみると、少なくとも大洗女子を指揮するようになってからの彼女は、徹頭徹尾、ルール内で最善手を模索するスポーツマンであって、武人でも武道家でもなかったと思います。そのことが戦車道の中で彼女(達)を異端たらしめ、しかし勝利に導いた要因でしょう。そして対戦した他校の選手達もそのようなスタンスに好意的であるところを見るに、今回の大洗女子の優勝を機に、楽しいスポーツとしての戦車道という見方は若い選手達の間にも広がり、大洗女子のように普通の女の子達も多く参加するように戦車道の人気が広がっていくのではないでしょうか(と勝手に妄想)。

*1:それも、より大きな戦略の視点から見て個々の戦闘を良好に済ませるために

*2:美徳の問題と切り離して、そのようなルールで競い合うことが果たして面白いのかどうか、という議論も別にあります。

*3:もちろん、対戦する両校ともが、みほ達のようにフラッグ車を逃しながら相手の隙を伺う戦い方に徹した場合、それで競技として面白いのか、という問題はあります。ポイント柔道の場合と同様に。

*4:その後、聖グロ戦で痛い目を見て元のカラーリングに戻すあたりに、この作品のバランス感覚を感じます。