ゾーニングで許してくれないじゃん


コアマガジンガサが入った件で逮捕者が出ましたが、これについて書いている山本一郎氏の記事がいつになくズレているように思う。


まず、わいせつ罪に明確な基準が無いのは米国と同じ、ってのはそのとおりですが、その運用には大きな隔たりがありますよね。向こうのポルノは無修正で当たり前に流通してて、そのうえで文学性や芸術性が認められないか否か(いわゆるMiller test)という議論をしている。翻ってコアマガジンの件は修正が濃いか薄いかという話をしている。これ同じに見えますか?
つかそもそも、性表現に対してどの程度寛容たりうるかはコミュニティの文化や法体系によって当然に異なってくるわけで、欧米がこうだから日本もそうすべき、という前提がそもそもおかしいというか。もしそういう論理を採るなら、いちばん厳格であろうイスラム系コミュニティの基準に合わせろという話にしかならんと思いますが?
その意味では、日本と米国で法が似てるか似てないかとか関係なしに、日本での表現規制の実態は妥当と言えるのか、っつー視点で話を進めるべきで、刑法175条に対する批判というのは概ねその前提で提起されてるのではないかと。


氏は、「ゾーニングをきちんとしていれば」という話もしてますけど、少なくとも刑法175条に関してはゾーニング関係ない*1んですよね。ポルノカラー写真誌事件の判例によって「たとえ見たくない人が回避できるような措置が採られていたとしても、わいせつ物はわいせつ物であり、処罰対象になる」ということになってますから。
つまり刑法175条は(判例なども含めると)「売り場の隔離を厳格に行なっていたとしても、責任能力のある成人にのみ販売を限定していたとしても、世の中に流通させてはいけない表現がある」と言っているんです。それも、誰かの人権を侵害したとかではなく、性描写が過激だという、それだけの理由で。


まあ、性描写は子供の見えないところでやってくれ、ってのは子を持つ親の心情として理解できますけどもね、そこで「欧米なら〜」って比較を出すのは間違いじゃないかなとも思ったり。
しかも上で見たとおり、刑法175条はゾーニングを奨励するような運用にはなっていないどころか、判例上はゾーニングを否定しているので、「出版社は子供のことも考えてもっときちんとゾーニングしろ」という立場から「刑法175条の現行の運用を支持する」ってのも変な話。むしろ、今のように警察の胸先三寸で描写を一律禁止する運用よりも、ある程度の基準を示してもっと多段階のゾーニングやレーティング(12禁とか15禁とか)を導入し、そのバーターで成人向け表現を青天井に設定したりするほうが、結果的に棲み分けが進んで性描写が子供の目に入りにくくなる、ということだって考えられるんじゃないでしょうか。

*1:ゾーニングが論点になるのは専ら有害図書指定のほうで、今回摘発された雑誌はいずれも成人指定のもの(=ゾーニング済のもの)であることからも、本件とゾーニングが関係ないことは明らか。