訓練≠無秩序な殴り合い

海上自衛官が死亡した訓練についての同僚の証言。
この同僚とやらが本当に実在するか否か、この証言内容が真実か否か、についての判断はとりあえず保留しておくとして、もし本当にこの証言の通りなのだとしたら、これ訓練になってねーだろ。
 

そもそも何が目的なのか。
そして、その目的達成に合致した効率よい方法だったのかどうか。
 

一対多の状況における格闘戦について習熟することを目的とするなら、まず一対一から始めて、徐々に相手の人数を増やしていくべきでしょ。そうやって段階的に難易度を上げていくことによってしか、技術・センス・精神力を養うことはできないわけでさ。小学一年生にいきなり中学一年生の数学の教科書を渡して理解できることを期待するの?泳げない人をいきなりプールに叩き込んで着衣水泳が身に付くことを期待するの?この証言によるところの“訓練”ってそれらと同質のものじゃん。
この同僚の証言を信じるなら、「少し空手の経験があった」その同僚でさえ、いきなり一対多の状況に放り込まれた結果、「2、3人目以降記憶はあまりない」心理状態になってるわけで、技術の習得も何もあったもんじゃない。まして、死亡した隊員は「あまり武道経験がなかった」んでしょ?最初から訓練になんてならないことは明らかじゃん。

 
確かに、実戦に近い状況・極限状態の緊張感の中でなければ習得し得ないものというのもあるでしょうし、それを会得するために危険な状況を再現して訓練する必要性もあるとは思います。でも、そういった訓練っていうのは、その訓練に必要となるその他すべての技術・センス・精神力を磨ききった人が臨むべきものでしょ。その道を極めた武道家が対人戦をやりつくした挙句に戦うべき相手としてクマと対峙するのは有意義かもしれませんが、武道の素人がいきなりクマと対峙するのはむざむざ死にに行ってるのと同じで意味なんてない。

 
だから自衛隊は野蛮だとか不要だとか言うつもりはありません。むしろ強く必要だと感じているからこそ、意味のある訓練をしてくれ、と思う。こんなどこの高校の運動部かと聞き間違うかのような馬鹿なことを訓練と称して続けるくらいなら、スポーツ医学の研究者に監修させて教練全般を見直してもらえよ。