自主という名の強制

規制と戦う物語であるはずの図書館戦争そのものも規制に曝されていた件
「企業・業界の自主規制なら、公権力の強制とかではないのだから、別にいいんじゃないの?」とか考えがちです。確かに、同業種の一部の会社が自主的に行なうものであれば、それら以外の会社が(事実上出し抜く形で)そのような規制に従わない振る舞いをすることで、消費者側の意識にあわせたバランスを市場で実現することができるでしょう。
しかし、この種の自主規制の実態としては、天下りを幹部に据えた業界団体によって規制が主導され、その枠組みに参加しなかった企業は公権力による何らかの摘発という形で“制裁”を受ける、というような手法が横行しており、事実上は公権力による強制的な規制を間接的に実現しているようなケースが数多く存在しています。*1
上掲の図書館戦争の場合で言えば、放送局は総務省からの免許制であり新規参入の困難な事業であるうえ、その既得権益を前提とした酷い横並び体質であるために、仮に他の放送局で放送する場合にも多かれ少なかれ同じような対応を迫られたのではないでしょうか。

 
イムリーにも、Amazonが成人向け商品の一部について自主的に取扱停止をしたという話が出ています。まあそもそも日本のAmazonkonozamaなどと呼ばれたり、半年くらい前には重大なセキュリティリスクが存在したりしていて、少なくともオタク向け商品なんかを購入したい人は他の専門通販(とらのあなとか)に切り替えていたと思いますし、今回の件についてもそういう対応ができるでしょう。
ここで重要なことは、例えばこれが「通販業界全体で取り組むべき活動」などというお題目を掲げ始め、大手複数社で徒党を組み始めたりしたときです。杞憂で済むならいいのですが、万が一そういう状況になった場合、最初は単なる協力関係に過ぎなかったものが、何らかの組織という形を取るようになり、天下り幹部を抱えるようになって、最終的には公権力が思い描くとおりの規制を強制する体制が出来上がることになるでしょう。
こういう問題は、物流に限らず、あらゆる情報流通について言えることです。「どんなに規制が進んでも、インターネットは自由な言論の最後の砦たりうる」というのは希望的観測に過ぎず、ISPに同様の自主規制を押し付ければインターネットすら統制することは容易であり、青少年インターネット規制法が法案時に目指していたのはまさにそういうこと*2です。

 
なので、たとえそれが自主規制という形のものであっても、それが本当に必要なものなのかどうか、何か全体主義的な形での実施を目論んでいないかどうか、という点について、常に注意する必要があります。

*1:実例を挙げようかと思いましたが、当該団体から訴えられでもしたら嫌なのでやめました。まさしく自主規制。

*2:ウェブサイト上の表現を法令によって直接的に規制しようとすると「検閲ではないか!」という反発が起こります。そこで、かわりにISPを処罰対象にすれば、ISPは自ずと、自身の提供するウェブスペース上でサイトを運営している利用者達に対し利用規約・契約という形で表現の自粛を求めるようになります。検閲という形を取らずとも、ISPの“自主規制”によって同等の効果が得られるわけです。