妄想を前提にするな

「規制脳」の件。この見方自体が「緩和脳」のような気がするけど。
言葉を継ぐなら、現状を悪くしているルールを取り除くのが善い緩和であるのと同様に、現状を改善するルールを敷くのは善い規制です。逆に、現状にそぐわないルールを敷くのが悪い規制なら、現状を善くしているルールを取り払うのは悪い緩和であると言えます。*1
要するに、規制と緩和は現状に最適なルール体系を模索していくに当たっての取捨選択における裏表・両側面でしかなく、どちらかが一方的に善い悪いという話ではない、ということ。


そして個々のルールについて見ていくとき、大事なのは、規制であれ緩和であれ、それを施行した場合に何が起こりうるかを、一切の妄想的前提を排して検討していくことです。


例えば、「今回の金融危機は規制が弱かったのではなく規制の監視監督が弱かったせいで起きたのであって、ゆえに規制強化は必要ない」とする意見があります。
確かに、金融商品についての規制の監視監督が充分に行われなかったことが潜在的リスクを跳ね上げたとする意見はそこここで耳にしますが、だからといって規制自体に問題はなかったと考えるのは短絡です。なにも当局職員たちが怠けていたせいで監視監督が行き届かなかったのではなく、むしろ逆で、当局職員が頑張っても結果的に監視監督が行き届かなかったと考えるべきでしょう。つまり、当局の取り締まり能力を持ってすればこの程度に緩和されたルールの中であっても充分に監視監督できるであろう、との(事前の)見込みが妄想的前提に過ぎなかったと言えます。であれば、その妄想的前提を捨て、当局の能力の実態に沿った(監視監督を充分に行き届かせることができる程度の)規制強化を行なうのは現実的です。
この規制強化に反対するのであれば、規制強化せずとも監視監督を充分に行えるようになるという具体的対案を提示すべきであり、それをせずに「監視監督を充分にすれば規制強化はいらない」と言い募るのは、一度は諦め捨てたはずの妄想的前提を再び拾い上げているだけで、何も言っていないのと同じです。「巧くできるようになる方法論について考え、学び、訓練すべき」などと具体性の欠片もない夢へ突き進むのではなく、今のルールでは監視監督が行き届かなかったという厳然たる事実を認めて直ちに実施できる具体策を採るべきで、その答えが規制強化であるのなら渋々にでもそれを実施すべきでしょう。


児童ポルノ法の改悪的強化を求める人たちの言い分は、これと同様に妄想的前提に立った主張を規制強化の側からしているパターンです。
日本ユニセフ協会として自民党公明党に働きかけに行ったアグネス・チャンは、自身のブログで次のように述べています。

今まで外国で逮捕された人は大量に所持している人に限ります。単純所持を禁止している国のなかで、冤罪の問題が起きていないのはとっても心強いです。きっと日本でも、大丈夫と思います。

児童ポルノ冤罪を起こすことを目的としたコンピュータウイルスが既に存在し、アメリカでも事実無根の少年が起訴され懲役90年の求刑をされたり等の冤罪が多発しているそうですが?
そして以下の記述。

でも、そもそも、完璧な法律はありません。リスクは必ずあります。だから裁判があり、お互いの言い分を話し合うことがなによりも大事です。

ここに大いなる妄想的前提が隠されていることにお気付きでしょうか?それは「裁判で容易に潔白を証明でき」「裁判で無罪を勝ち取れれば被告は原状回復できる」というものです。
確かにどんな法律にも冤罪のリスクはつきものです。しかしリスクの大小はそれぞれに異なるでしょう。上述の金融商品の問題が「当局の能力は高い」という妄想に基づいていたのと同様に、児童ポルノ法の単純所持規制のリスクが小さいと看做すのは「警察・検察・司法の誤謬や恣意性は小さい」という妄想に基づいています。例えば現在進行形で、痴漢の罪状では、容疑者の主張が聞き入れられづらく、ゆえに起訴される可能性が高く、しかも立証責任が被告にあり、無罪が認められても「電車の中では女性と離れて立つのが、マナーです」などと言われ、ゆえにそのような過酷な顛末を避けるべく裁判をためらい、事実無根であっても泣く泣く示談で済ませる人が多い、というような現状があるわけですが、これを踏まえてもなお、そのような妄想が信じられるでしょうか。*2
また、このブログでは過去にも何度か指摘していることですが、通常、性犯罪の嫌疑がかけられるだけで社会的地位を失い、そしてその多くの場合において、無罪を勝ち取っても失ったものは戻りません。逮捕・起訴の時点で職を失う可能性は高く、仮に刑が確定するまでの間は休職扱いになったとしても、公判中に生活や裁判費用を維持できるでしょうか。また無罪を勝ち取ったとして、数ヶ月〜数年のブランクから仕事に復帰して今までどおりにやっていけるでしょうか。実名入り(場合によっては顔写真入り)報道で全国に逮捕・起訴を周知されたあとでどうやって名誉回復し、そして国に充分な賠償を認めさせることができるでしょうか*3。「刑罰・裁判に対する大衆の理解が浅いからだ」と民度の低さを嘆くのは簡単でしょうが、その民度の低さという現実を受け入れた上でその現実に沿った施策を採るべきであって、「民度が低いのが悪いだけだから、そこは無視して単純所持禁止は実施すべき」というのはまさに妄想的前提の議論です。


つまり彼女らは「疑われちゃったんならしょうがないじゃん、自分で(裁判も生活も)何とかしてよ」と言ってるだけなんです。そりゃそうですよね、事実無根で社会的地位を失った人に対して日本ユニセフ協会が支援するわけもないですから。


今の日本において、児童ポルノの単純所持禁止を実施することはかなりリスキーで、妄想的前提を仮定しなければ安全とはとても言えません*4。この種の規制を推進したがる人は、若者の犯罪を見ては「現実的感覚が希薄」とか言いますけれど、本当に現実的感覚が希薄なのは誰なんでしょう。

*1:社会コストの面からも、規制が社会コストを減少させることもあれば、緩和が社会コストを増大させることもある。とても一般化して語る話ではありません。

*2:具体的な事例を挙げるなら、欧米では父娘がいっしょに風呂に入ることは性的虐待とされる危険性があるそうですが、日本ではそのような場面を写真に収めている家族は少なくないはずです。自信をもって「これは無罪だ」と言えますか?

*3:聞くところによると、単純所持規制を施行しているアメリカにも同様の問題が存在しており、実話を元にしたドキュメンタリードラマが作られたそうです。

*4:そしてこのブログでたびたび言及しているように、もっと穏当かつ適切な方策が実施されないままいくつも残されています。