差別者どもの宴

規制推進派が公の記録が残る審議で問題発言連発したとかなんとか。


こういう人たちって結局、こっち側とあっち側に線引きして、自分たちが正常な側にいることを確認して安心したいタイプの人たちなんだな〜ということがよくわかる事例。個人の性的嗜好を何の根拠も無く認知障害として扱いそれを規制の根拠にしていいなどという理路がそれを如実に表していますね。以前にも書きましたが、そもそも精神障害が対処すべき対象としてみなされるのは、それによって社会との関係に問題が出るから。したがって、異常な(=多数者と異なる)性的嗜好であっても、それが社会との関係に問題を起こさないのなら、治療対象にもならなければ政策対象にもならない。結局は、その性的嗜好そのものが犯罪へ寄与しているなどの統計データが無いかぎり、お話になりません。


もっとハッキリ言うと、人の精神性にはもともと個々人でバラツキがあって、そのバラツキの近しい者どうしからなる大集団がマジョリティとして社会の管理運営を牛耳っているに過ぎない、ということ。そして、彼らマジョリティから離れた精神性を持つがゆえに、マジョリティによって規定されている社会へと適合できないことをもって“精神障害”とみなしている、ということ。
だから、ある個人が社会に適合できているか否かという事実をもってその人が精神障害か否かが判断されるのであって、そのような個別の事実認定無しに、前もって「このカテゴリに当てはまる人は精神障害だ」などという線引きなんてできない。もし仮にいま普通に社会生活を営んでいても、明日突然に何か事件を起こしたりして、その人が実は精神障害だったということが“後からわかる”ということがありえるのだ。私も、あなたも。
誰もが精神障害たりえる、もしかしたら自分が認知障害かもしれない、という可能性が想像できれば、他者を軽々しく認知障害呼ばわりしたりはできないでしょう。誰も安全圏になんて居ない。こっち側とあっち側に線引きして自分が正常であることを確認しようとすることの何と滑稽で浅ましいことか。
そして、もし仮に発言者に認知障害があったからといって、その主張が直ちに棄却されるものでもありません。誰が言ったかではなく何を言ったかによって議論はなされるべきですから。


これらのことが了解できれば、特定の性的嗜好を十把一からげに精神障害とみなし黙らせようとすることがいかに乱暴かということが理解できると思います。そしてそのような乱暴な見方しかできないような貧相な想像力しか持たない人々に、人権についての議論、特に、起こりうる事例を想定して法制度を検討するなど到底できないのではないでしょうか。


とりあえず各所に問い合わせメールを送ってみます。