覚悟はあるかい


戦国BASARAのキャラ設定についてハンセン病学会が要望書を出した件。


要望書であって抗議ではないという学会の姿勢は穏当であり、これを指して「人権団体の利権だ」とか言っちゃう人は頭がおかしい。前にも何度か言ってるけど、法や権力による規制や暴力による威嚇では無いのだから、表現したことへの反響の声に対し何ら反論も説明もせずに「表現の自由があるから」とだけ言って退けようとするのは無効です。


誰が何を言ったところで、このゲーム内容を修正することを、誰もCAPCONに強制することはできません。それは表現の自由。ですが、このゲーム内容についてCAPCONの良識を疑う声をあげることもまた表現の自由に照らして正当。もし仮に、そういった声を無視して修正せずに発売したとして、問題視しない人が大勢を占めればそのままスルーされるでしょうが、問題視する人やそういった声に耳を傾ける人が大勢を占めれば、CAPCONについての悪評が広がり社会的地位が失墜するでしょう。
表現の自由とは、そのような結果から表現者を守ることではありません。表現したことによって生じるいかなる不利益も回避できるなどという魔法の杖ではないのです。というかむしろ、表現されたものに対する世間の反響が歪められることなく表出することこそ表現の自由の社会的な意義なのであって、上述のような、唾棄すべき表現に悪評が集まり唾棄すべきものとしてゆるやかな合意が形成されるのは表現の自由が正しく機能している状態です。


だから、表現者は、CAPCONは、選ばなければいけません。修正すべきかどうか。もちろん修正しないこともできますが、それはそれに対する反発を自分で引き受ける覚悟があるならばの選択です。最悪なのは、その覚悟が無いにもかかわらず、表現の自由を振り回せばエクスキューズになる、と考えてしまっている場合。繰り返しますが、表現の自由はこのような論争において何らエクスキューズにはなりえません。表現の自由はその論争の場を保障しているだけです。そのことにこそ意味がある。
まあCAPCONさんは大きい会社なので、そのへんを検討し良識的な決断をするだろうとは思いますが、もし万が一にも突っぱねるのなら、相応の主張をしてほしいところですね。