分断されんな


東京都の副知事である猪瀬直樹氏が、今回の条例案について雑な論を展開していることで物議を醸しているそうです。直近のブログエントリでは次のような発言が。

エロ規制はあったが、ロリ規制がなかった。不健全図書(成人向け図書の棚に置く)に指定されてきたのはエロ規制で、ロリ規制ではなない。新たにロリ規制をもうけただけの話。

http://www.inosenaoki.com/blog/2010/03/post-5c51.html


「ちょっとよくわかんないんですけど」(オードリー若林風に)つか、ロリ規制の定義の意味がわからん。エロとロリを別のものとしてるってことは、ロリ規制=キャラ年齢に関する制限ってこと?
だとすると、今まで既にエロ規制はされていて、つまりエロかつロリな作品は既に規制されていて、えーっと、だとすると今回の条例案では非エロでロリな作品が新たに規制されるということになるわけで・・・ん?ん?全年齢向けメディアにおいては児童を(エロ・非エロ関係なく)描いてはダメってこと?ん?ん?


「つまり・・・どういうことだってばよ?」
「こどもちゃれんじは犠牲になったのだ・・・。」
「猪瀬ェ・・・」


BSフジにも出演して規制反対派と議論したらしいけど、そのときに槍玉に挙げられたのは「奥サマは小学生」という漫画。テレビだからと配慮するつもりで一部を隠して紹介したようだけど、具体的な表現内容について検討すべき場でその争点たる表現内容の一部を隠して提示することは、結果的に印象操作になってしまっていて、自覚があるかどうか知らないけど非常に姑息な議論の進め方になってます。
案の定2ちゃんねるでも「こんな漫画は仕方ない」的雰囲気になってるっぽいけど、そんなレスを返してる人たちのうちの何人が実際にこの漫画を読んだんでしょうか。かく言う私もこの漫画は読んでいませんが、既に読んだ人の話を読む限りセックスそのものの描写は避けられているとのこと。それどころか、作者本人の話では現行の条例に抵触しない様態の描写に留まっているそうで。

まあ、漫画自体、主人公の担任の先生と生徒の12歳の奥さんの話である訳ですが、主人公が国から子づくりしていいよと言われていて、その中で妄想で、バナナや練乳を使って、わざとセックスを連想される描写はしているものの、直接のセックス描写も無く、せいぜい、ほっぺにチュッで終わっている漫画なのですが(主人公は最後まで童貞です。)、「セックスをしている」と書かれ言われ、ちょっとちがうよ、、、、汗、、、、です。


確かに書いている当時は、お上が眉をしかめるような、笑える漫画にしようと意気込んで書きましたし、言われたら言われたで「よく見てくださいよ〜〜〜〜セックスしてませんよ〜、これ練乳っす!ぎゃははははは!!!チューで終わってるじゃないですか〜〜〜、これをセックスと見間違いしたあなたは、スケベですね〜」と言う冗談で書いたわけです。


そもそも、この誤解を招くような表現は、出版社のゾーニングを逆手に取ったギャグで、僕の著書であり出世作エイケンの頃より使っていた、表現であり、漫画家松山せいじの作風です。
読者は、それを知った上で、読んでくれていますし、本を買ってくれています。

http://den.blog.ocn.ne.jp/densuke/2010/03/post_acbc.html


それをふまえると、この作品は、猪瀬氏の上掲発言でいうところのエロ規制はクリアしているということになり、問題とされているのはロリ規制、おそらくキャラの年齢の部分だろうということになります。その点では「キャラが未成年であることが明示されていないのであれば規制されない」という都の説明とは整合しますが、しかし彼がこの作品をあげつらって批判する姿は、年齢だけを問題にしているようには見えません。こういう、口で言っていることとそこから見え隠れする本音との乖離が、規制反対派からの不信をいっそう深くしていることに気付かないんでしょうかね?もし「この作品の主要な描写はそのままに、年齢に言及する箇所だけ削った漫画にしたら、何も問題が無くなると思いますか?」って聞いたとしたら、氏が何て答えるか興味があります。結局、エロさが匂わされてることがけしからん!ってだけじゃないの?


個人的には現行の条例は割と妥当な落としどころかな〜と思ってたんだけど、今回の条例案を巡る規制推進派のめちゃくちゃな主張を見ていて、そもそもなんで未成年には図書等の閲覧を制限する必要があるのかについて、改めて考えてみたいと思います。お題目としては「青少年の健全な育成に悪影響がありそうな図書等があるので閲覧を制限しよう」ということだけど、その悪影響とは何ぞや?というお話。


おそらく、純粋に青少年自身のためと言い切れるのは、「セックスを含む性的行為についての描写」を青少年には閲覧させない、という線。セックスは妊娠・出産に繋がっているから、医学的に誤った知識を身に付けてしまうと、実際にコトに及んだ際に意図せずして自分自身やパートナーに精神的・身体的・社会的な負担を生じさせる可能性があるし、性的行為全般もまた医学的に誤った知識によって性病等の疾病に晒される可能性がある。なので、それらについての医学的に正しい知識を身に付けるまでは、知識の混同を避けるために、教育の場以外では「セックスを含む性的行為についての描写」については触れさせないようにしましょう、と。これはこれで筋は通っているけど、そうであれば表現規制と平行して性教育そのものにも力を入れなければ意味が無い(18才になるまでにしっかりした性教育が受けられないなら、結局は医学的に正しい知識を身につけないままに、18才になって以降にそれら規制されていた表現に触れることになる)けど、表現規制にご執心の皆様って性教育については物凄く消極的な人々が多いのはなんでだろーね?


で、その「正しい知識のための規制」を受け入れたとして、件の「奥サマは小学生」がそれに抵触するかというと、上掲の作者発言に従うなら、これは抵触しないでしょう。実際に作品のレビューを見る限りでも、バナナをくわえてるだけ、練乳をかぶってるだけ、であってセックスを含む性的行為の描写は無いように思われます。
しかし規制推進派は(少なくとも猪瀬氏は)この作品も規制すべきと言う。その根拠はどこにあるのか。推測になるけれども、それは大きく分けて「性欲を無用に増大させる恐れがある」「性についての正しい価値観を歪ませる」の2点なんじゃないかと思います。


「性欲を無用に増大させる恐れがある」ことの何が悪いのか、ってのは正直よくわかりませんね。青少年の範囲は18才未満と広範にわたるけど、性欲を増大させるようなメディアに興味を持つような年頃の児童にとって、多くの場合それらのメディアはむしろ性欲の発散(いわゆるオカズ)として使われるはずだから、仮にそういったメディアが性欲を無用に増大させたとしても一時的なものに過ぎず、平時において常に当人の精神状態を不安定化させたり悪化させたりするようなことはほとんど無いでしょう。つか、思春期の児童って日頃から性欲が強いような傾向は普通にあるわけで、そこにエロい漫画の1冊や2冊が加わったからって何なの?という気が。
極端な意見としては「性犯罪に走る恐れが!」とか言う人もいるでしょうけど、以前に紹介した暴力ゲームの研究にもあるように、長期的に見て、反社会的なメディアへの接触が児童を反社会的にする可能性は否定されています。


「性についての正しい価値観を歪ませる」については、そもそも“性についての正しい価値観”*1などというものがありうるのかという疑問があります。性的に成熟した異性に対し性欲を抱くのが正常?例えば性同一性障害や同性愛などといったセクシャリティを持つ人は思春期からその自覚に悩んだりすることがあると知られてきていますが、そういったセクシャリティを持つ児童に対してそのような“性についての正しい価値観”を教え込もうとすることは、そのこと自体がその児童に対する抑圧になりうるのではないでしょうか。性同一性障害や同性愛は世間的に広く認知されているから、そこは例外として配慮して教育しようと言う人もいるでしょうが、そもそもセクシャリティは各人に固有なもののはずで、性同一性障害や同性愛以外にも多種多様なセクシャリティがあり、性同一性障害や同性愛に限らずそれらは全て等しく尊重されるべきです。「この価値観こそが正しいセクシャリティなのだ、未成年のうちはこの価値観から逸脱することまかりならん」*2と大上段に掲げて画一的な価値観を押し付けようとすることこそ不健全なのではないでしょうか。
何より、「正しい知識のための規制」を受け入れた以上、全年齢向けの表現の場からは「セックスを含む性的行為」全般が排除されており、そこを避けて表現することは何かしら表現内容を歪ませることになります。「奥サマは小学生」が表現を行なっているのはまさにその領域であって、「セックスを含む性的行為」全般が排除されながらもエロさを醸し出そうとしてああいう内容になっているわけで、(歪ませる元となった「正しい知識のための規制」を導入し運用している側が)それを指して「性について異常な価値観だ」と言うのは、ほとんどマッチポンプでしかない。そして「性について異常な価値観だ」と言うとき、そう発言している当人も(好悪は別として)それがエロいということは認識している(だからこそ“性について”と言っている)ことになり、当人が自身の価値観を正しいと考えているのなら(正しい価値観を持つ者でもエロいと感じるモノを指して、異常な価値観だと批判しているわけだから)自家撞着になっています。
ハッキリと「俺にとっては気持ち悪くて許しがたい価値観であり表現だ」「俺にとって心地いい価値観から児童は逸脱してはならん」と言ってしまえばいいのに、それを普遍的な主張であるかのように粉飾しようとするから、こんなねじくれた話になるんだと思います。


いずれにせよ、「正しい知識のための規制」に抵触しない範囲でのエロささえも、青少年健全育成の名の下に規制しようとする発想は、ほとんど根拠の無い悪影響論に立脚しているようにしか見えません。にもかかわらず規制したいと言う人が多いのは、そう主張する当人の持つ、未成年にとってのエロ=悪であるという個人的価値観の現れでしかないでしょう。


したがって規制推進派は、なんだかんだ言ったところで、とにかくエロさを制限したいだけなのだと。「奥サマは小学生」では、バナナをくわえてるだけ、練乳をかぶってるだけ、なのにダメだと言うのは、まさしく、エロさが醸し出されてたらそれだけでダメと言っているということです。


そこで注意しておきたいのは、この作品の描写内容が、形式的には条例を守っており、にもかかわらずエロいと感じるのはどういうことか。それはつまるところ、特定の様態を描写することを形式的に規制したところで、エロさに制限をかけることにはならない、ということ。現に上掲の作者発言でもそのような表現意図に言及しているし。
このことは、裏を返せば、形式的な規制によってはエロさを制限することはできず(にもかかわらず、規制推進派は規制によってエロさの制限をもくろんでいるから)、したがって規制推進派の求める規制強化には際限が無いだろう、ということ。以前にキミキスのコミック版がエロいっつって話題になったことがあったけど、キスという様態1つとってもここまでエロく描けてしまうわけで、もしもエロさを制限しようという目論見を野放しにすれば、いずれ「だからキス描写も規制しろ」と規制推進派は言うでしょう。そうやってキスそのものが規制されてしまえば、全年齢向け作品からはことごとくキス描写は消えてしまう。ありとあらゆるエロさを全年齢向けの表現の場から排除しようというのが彼らの根源的欲求であり究極的な目的なのだから、それこそアメリカの子供向けカートゥーンのレベルにまで脱臭されるまでは、どこまでも規制は進むことになります。既存の人気作品だってそこから逃れることはできません。白井黒子がエロさを匂わすかぎり超電磁砲は成人向けアニメになってしまうでしょうし、いくらパンツじゃないと抗弁したところでストライクウィッチーズも成人向けアニメになってしまうでしょう。そらのおとしものおまもりひまり?言わせんなよ恥ずかしい。
単に「エロいからダメ」という理由で(例えば「奥サマは小学生」を)規制するという考え方の先には、そういう結果が待っているわけですが、「こんな漫画は仕方ない」と言って切り捨てようとしている人たちは、それで本当にいいのかね?

*1:“医学的に正しい知識”とは別であることに注意。

*2:その後に「あ、でも性同一性障害と同性愛は(世間的に認められてるから)例外ね」と言葉を継いだとしても、結局はそれ以外のセクシャリティを(世間的に認められてないから)抑圧してよいという表明にしかなりません。