ポルノ規制こそ差別の隠れ蓑


今度は男女共同参画の方面から表現規制の動きが出てきた模様。「性暴力ゲーム女性差別の温床だから規制すべき」という論の誤りは以前のエントリでも指摘したとおり。


もし万が一、性暴力ゲーム女性差別を惹起させる影響があった*1とするなら、それはつまるところ人々が容易に人権侵害を起こしうるほど社会における人権についての意識が低い状態にあるということであり、そこで仮に性暴力ゲームだけを禁じたとしても、女性差別の温床であるところの人権についての意識の低さは温存され続け、現実の女性差別は一向に改善されることは無いでしょう。そこで本当にやるべきは、人々の人権についての意識を高め、差別的な言動の本質的な原因となる個々の人間のメンタリティを教化していくこと*2です。そしてそういった取り組みがきちんとなされるのであれば、もはや性暴力ゲームがあろうがなかろうが、人々は女性差別的な言動はしなくなります。


結局、女性差別撤廃の文脈において性暴力ゲームを禁じようとすることは、目立った対策を打っているように見えて、その実なんら実効性は無く、むしろ本質的な差別意識の存在から目をそらさせるだけにしかなりません。特に保守的な政治家や思想家は、そのことを半ば自覚した上でこの施策を掲げ、「保守的な価値観にとって目障りな性表現を潰し」「(彼ら自身が抱え、かつ維持したい)本質的な女性差別の構造には一切メスを入れず」「女性の役に立った功績として誇る」ことを試みようとする危険があり、女性差別撤廃の運動にはかえってマイナスにしかならない恐れがあります。したがって、今回の男女共同参画という目的においても、性的メディアの規制は全く無意味どころか逆効果である可能性すらあるわけで、表現の自由だけではなく女性差別撤廃の観点からも非常に危険な計画であると言わざるを得ません。


パブリックコメントの募集も行なわれていますので、皆さんも批判意見を送るようにしてください。

*1:実際にはそんな影響は証明されてませんが

*2:具体的には、どのような行為が差別的なのかを多くの人々に認識させ、そういった行為を恥ずべきものとする風潮を醸成すること。