文学少女感想


今日は文学少女いばらの王を見てきました。わざわざ東京まで見に行かねばならないので移動にかかるコスト(交通費・移動時間)を圧縮するべく二連荘、花澤香菜主演作品ダブルですお。
本当はトライガン銀魂も見てきたかったんだけど、スケジュール的に難しかったので断念。しかしこの2作品はそれほど見たいとも思わんので、後日見に行く気力が沸くかどうか・・・。


とりあえず今回は文学少女の感想だけ(いばらの王についてはまた別エントリにて)。
原作はラノベで人気のシリーズですが、私は未読なので、純粋に一アニメ作品として見た評価になりますけど、ぶっちゃけビミョ〜。
以下ネタバレあり。




カウンセリングが必要なときは、文学少女に頼る前にメンタルへ!とか言っちゃうとミもフタも無いですがw


ロジックで納得させるのではなく情緒で納得させる方向性の描写になってて、話のメインに据えられて語られるのが人間関係ってあたりが、なんか純愛系のエロゲっぽいかな〜とか思ったりしたけど。その情緒に訴える表現がどうしようもなく失敗してしまってるような印象なんですよね。


あらすじのレベルで見れば何をやりたかったかは明確です。過去の人間関係のこじれから物語を書くことをやめてしまった主人公コノハの前に、再びその相手ミウが現れ、かつて以上に関係がこじれていきそうなところを、“文学少女”トウコが宮沢賢治の作品の読解めいたものを通じてその人間関係をほどく。それによりコノハが物語を書けるようになったのを見届けた後、トウコは、コノハの才能をトウコのためだけにではなくより多くの人のために使って欲しい、作家になって欲しいとコノハに告げて、コノハの前を去る。
このあらすじ自体は良くも悪くもないんだけど、これを物語構成のレベルに落とし込む段階で説明不足な(ミステリ的な)形にしてしまったため、情緒に訴える表現とは相性が悪くなり、見てる観客としてはクライマックスで盛り上がりにくい、非常にノりにくい作品になってしまってるんですよ。


具体的には、コノハの過去に何があったのかを伏せたまま話を展開させてしまったのが全ての間違いの始まり。コノハの過去がわからない初見の観客にとっては、コノハの主観に思い入れるきっかけがつかめないままどんどん話を進められてしまい、物語が勝手に盛り上がっていくのに置いてけぼりになっちゃう。
もしこの作品が客観視点でロジカルに観客を納得させる方向性であるのなら、確かにコノハ本人が自身の過去を口にしないかぎり過去に何があったかはわからないはずで、その背景が序盤では観客に伏せられてるってのは納得がいくんだけど、しかし実際にこの作品において観客を引き込もうとするときにはロジックじゃなくて情緒で引き込もうとしているので、コノハの過去が説明されない→過去に起因するコノハの言動が理解できない→コノハに感情移入できない→感情移入できないから情緒で訴えられても響かない、となってしまう。


実際、序盤から(説明の無いまま)コノハはテンパった状態になってしまい、観客はそれを見てコノハの過去に何かがあったのであろうことは推測できても、具体的に何があったのかわからないまま話が進んでいき、キーパーソンのミウが登場するまでに至る。このタイミングで、コノハがかつて(屋上の事件の前に)ミウのことをどんなに大切に想っていたか、2人の間にどんな大切な思い出があったか、そのことについてコノハは今どんな想いでいるのかをきちんと描けば良かったのに、実際はそこの説明を全くしないまま、現在のミウの姿がかなり悪そうな人として描かれる。そうするともう、メンヘルミウちゃんに精神的に寄生されるヘタレなコノハくん、という構図にしか見えなくなっちゃうんですよ。「こんな鬱陶しい人との縁なんて切ればいいのに」「まわりの人が心配してるのもわからないくらい支配されちゃってるんだね」と、ミウだけでなく、もうコノハまでひっくるめて“残念な人たち”だという印象を強く持ってしまう。


それを「観客を意図的にミスリードしてるんだよ」と擁護することもできるだろうけど、そんなミスリード必要なの?この作品の核心って、「コノハとミウはお互いのことを強く想い合うあまりに悲しいすれ違いが起きていて、コノハの受賞によってそれが(ミウにとって)決定的に顕在化してしまったため、ミウは精神的に追い詰められ変わってしまったのだ」という認識が浮かび上がってくる一連の流れ(雪の屋上→病室での殴りあい→プラネタリウム)のカタルシスであって、「かつての(少なくともコノハの受賞より前の)コノハとミウはお互いを大切に想っていた」という事実はその認識へ至るためのスタート地点であり大前提じゃん。その大前提について、わざと観客に誤解させる理由って何よ?そうやって誤解させたことで、観客はその大前提をきちんと共有しきらないまま話の核心ににまで近付いてしまうせいで、「ミウの精神がおかしいだけでしょ」「そんでミウの依存を受け入れるコノハもどっかおかしくなっちゃってるんでしょ」「つーかもともとこの2人の関係って事件起きる前からもおかしかったんでしょ」という、主要キャラに対して(誤った認識に基づく)非常に冷めた目で見たままクライマックスを迎えることになってしまう。
推理的要素を入れたくて「ミウに何があったんだ?」という点をなるべく伏せておきたかったにしても、仲が良かった頃のコノハとミウのことまで伏せておく必要は全く無かったんじゃないの?


見終わってから冷静に秩序立てて振り返ってみれば、話の流れとしては破綻してはいないんだけど、上述したような感情移入の決定的な不足があるせいで、それ以後の展開にしても、見てるその瞬間にぜんぜん響いてこないんだよね。「ミウがコノハに向けていた想いは『誰かを幸せにしたい』という願いの発露で、プラネタリウムでの対話によりミウはそれに気付いたから、トウコを追って行くコノハには固執しなかった」「トウコによってミウとのわだかまりが解かれたコノハは、一連の事件を通してトウコがいかに自分を理解してくれていたか、2年間文芸部で自分に物語を書かせていたことが自分にとってどんなに救いだったか、に改めて気付いたから、他の誰でもないトウコを選んだ」っていうのは、頭で考えれば確かにそういう内容だったと理解できるけど、そこにはもうキャラへの感情移入が全く働いていないから、ぜんぜん感動できない。


キャラ造形やあらすじ自体は悪くないだけに、いかに観客を引き込むかという点にもっと意識を注いで欲しかった、というのが率直な感想ですね。残念な作品です。