いばらの王感想

というわけでいばらの王の感想。つかグロいのも怖いのもダメとか言っておきながらなんで見に行ったしw>俺


ハリウッドにありがちなサバイバルもの?に日本風の物語をかぶせた感じ。そういう意味では多くの人にとって取っつきやすい内容だと思いますが、クライマックスの展開が非常に巧妙なので、そこをきちんと理解するにはトリックものを読み解いて楽しめる感性が必要かもしれません。そうやって、真相がうまく理解できなかった観客にパンフレットを買わせるのが奴らのやり方だよ!
以下ネタバレあり。




完全にやられました。
真相がわかった!と思わせておいて、実はフェイクでした、ってのをラスト30分くらいで数回やられて、しかも最後の最後に出てくる真相だけが、本当に劇中の全ての事象を不合理無く説明できるってのは、もう完敗です。いっそすがすがしい敗北感。いい意味での裏切られた感と言いますか。
アニソ〜ンぷらすに出演した監督が「自分が最初に原作を読んで『やられた〜』と思った感覚を、観客の人たちにも味わって欲しい」と言っていましたが、その目論見は見事に成功してると言っていいでしょう。


実際、双子が出てくる以上はとりかえばや的トリックがあるだろうし、コールドスリープが出てくる時点で夢オチ的トリックがあるだろうと、見る前から予想していたのですが、そのどちらともを華麗に裏切ってくれました。まさか、最序盤で主人公が死んでいて、その後の主人公はもう1人の双子によって創り出され(どっかで見たネタだと思ったらDTB2期ですね;時系列的にはこっちが先なのかな?)ており、その記憶を操作するために(&目撃者の記憶も操作するために)コールドスリープ装置が利用されたなんてね。


まあ、カスミがコールドスリープから目覚めた直後(=偽カスミ新生直後)の違和感を観客に印象づけつつ、そのずっと後になってから、シズクは何でも創り出せる状態なんだよ〜ということを明かしてるわけで、うまく推理のボタンがひっかからないようミスリードしたな〜と思います。
しかし、トリックの核となっている、何でも創り出せるウイルス&洗脳による登場人物たちの主観操作は、推理モノ好きの人からすれば反則中の反則でしょうから、ちょっと受け入れがたいかもしれませんねw


技術的な面では、2Dと3Dの融合ということですが、気にする人は気にしそうなクオリティではありますね。
出てくるモンスターのデザイン自体が異形のモノなので、アニメキャラとの対比で浮いてしまうのも仕方のないことですが、むしろそこを逆手にとって「異形のモノなんだから浮いてても(むしろ浮いてるのが)“自然”でしょ」とエクスキューズする戦略くさいですけども。
あとは3Dにおけるキャラの芝居にクセがあって、2Dの手書きアニメ部分でのキャラの芝居との整合に違和感があるところとか。そこはもう、いかにして作画監督が3Dまで監督するか(あるいは3D監督が作画にあわせた芝居をさせられるか)という、今後の課題でしょうかね。


テーマ的な面では「それでもいばら姫は夢から覚めるべき」というメッセージが強く主張されてました(頻繁にセリフに登場する)が、そのメッセージと物語の整合性はイマイチだったような気がします。ゆえにそのメッセージ性についての感動は薄いですね。特に、前述したとおりクライマックスで真相が二転三転するので、カスミにとって、あるいはシズクにとって、「それでも目覚めなければならない」ということがどういう意味なのか、きちんと咀嚼できる前に終劇に至ってしまったといいますか。そもそも偽カスミはシズクの想像する(理想の?)カスミ像を反映したものだと考えると、死んでしまった真カスミよりも最終的に前向きで明るくなったとしても、それは成長などではなく(シズクに創り出された時に)生まれ持った性質かもしれないわけだから、少女の成長物語として位置づけることもまた難しいわけで・・・。
そこのところも2回3回と繰り返して見ることによって見えてくることもあるのでしょうが、これまたそうやってリピーターやBD/DVD購入者を増やそうというのが奴らのやり方だよ!


総合すると、見なければならないってほどの作品ではありませんが、見れば楽しめる作品ではありますね。