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ここ最近の、表現の自由に関わるトピックから。


まず、コーヴの上映が街宣で妨害された件。映画の内容に問題があるとして反対意見を主張するのはいいけど、営業妨害的な形で迫り、最終的に上映中止といういわば「相手の口をふさぐ」ような活動というのは、表現の自由を脅かすものではないでしょうか。
この映画に対する主な批判としては、内容が一方的過ぎるのではないかという点、また盗撮的な手法や被写体となった漁民の方々を騙まし討ち的に撮影している点を問題視するものが多いようです。
前者に関して言えば、そもそもドキュメンタリーなんて中立公平ではありえず、製作サイドの思想が色濃く反映されるのは当たり前であって、これをプロパガンダないしアジテーションの類として捉えるなら、同様にプロパガンダ的・アジテーション的な表現でもって応じればよいでしょう。というか実際、以前に反捕鯨運動に対して批判的な動画ってのがYoutubeにアップロードされて話題になりましたよね。この種の動画はもっと穏当なものも含めて数多く存在していて、捕鯨についての言論ってのはかなりオープンに交わされている状況だと思います。
後者に関して言えば、本当に何らかの人権侵害行為が伴っているのなら、法的に訴えるなどの手段がありえるでしょう。少なくとも地裁が係争の余地ありと認めれば、上映差し止めの仮処分をすぐに出してもらうこともできるはず。私自身はこの映画を見ていないので詳しいことはわかりかねますが、そういった動きが一切無いということは、むしろ、漁民サイドが訴訟を起こして勝てる公算は実はそれほど高くない、非常にビミョ〜なラインを付いてきている映画内容になっているのではないかと思います。
で、実際には映画配給会社から逆にそれらの街宣行為を訴えられて街宣行為をしないよう仮処分が下ったとのこと。まあ当然そうなるわな。
捕鯨に関して言えば、個人的には、生態系に影響を与えない範囲での捕鯨は容認されるべきだと考える私ですが、この映画を攻撃してる人たちのやり方は、表現の自由を尊重していないという点で民主的でないし、戦略としてみてもヘタを打ってるなあという印象。コーヴを批判する自分達の主張に自信があるなら、コーヴを上映させるだけ上映させたうえで、その内容の問題点を徹底的に批判するべきではないかと思うのですが。


かなり騒がれたドブスを守る会については、経緯からして撮影行為がそのまま人権侵害行為になっているわけだから、表現の自由で守られるような話ではない。芸術だから倫理的な問題を回避できるかというとそんなことは全く無くて、その点については高橋直樹氏の見方が非常にわかりやすいかと。芸術と倫理は別軸の評価であって、つまり芸術的でありながらも倫理を逸脱するモノというのはありえるわけで、例えばそれが人権侵害を含むなら法的に罰せられますよ、ということ。そして表現の自由というのは「具体的な人権侵害を伴わない表現なら何でも自由」として規定される、倫理の評価軸の中で定められているものであって、芸術性で決まるものではない。
今回の件で表現の自由を訴える人もいるようだけど、こういう人らがむやみやたらに表現の自由を振りかざすから、本当に表現の自由が問われるべきときに軽んじらてしまうというようなことが起こるんですよね、あーやだやだ。


バッタもんの件については、ヴィトンの抗議の根拠は商標権らしいけど、芸術作品において商標権が問題になるのかな?と。当該作品では形状は加工されてしまって製品の本来の姿とは似つかないから作品それ自体がニセモノと同等の違法性を持った模造品という扱いにはならないだろうし、モノグラムが作品表面に残っていることが問題なのならニセモノもホンモノも関係ないしねぇ?それとも、ニセモノに印字されたモノグラムが作品表面に残ってるからダメとかいうピンポイントな理由なのかもしれないけど、それを問題視する根拠が何なのか不思議だ。
何にせよ、ヴィトンは度量が狭いな〜と思うし、美術館はチキンだな〜と思います。作者には「何ならホンモノを切り刻んでバッタもんを作るべきでしたか?」とか皮肉の一つも言ってほしかったけどw


暴力団漫画の規制の話は、性表現規制と同じ構図ですよね。多くの人が好ましいと思わないものから規制を順次かけていくという。まあ九州は特に暴力団の犯罪が多いとか特殊事情があるにせよ、ならば暴力団の犯罪の取締りにこそ力を入れるべきであって、漫画を規制したから治安がよくなるとかいうもんでもないでしょう。そこらへんもふくめて性表現規制と同じですな。


そういう動きとも関連して、いま自民党ではあの悪名高き青環法が政策として復活しそうなんだとか。こういうの見ると、いま社会の中枢で権力を握ってる人たちは本当に戦前・戦中の全体主義に回帰させたがってるんだなあとしみじみ思ったり。「戦争を知らない世代へ語り継ごう」的なスローガンはいろいろと耳にしますが、若者なんかよりも戦中ないし戦後すぐに生まれたはずの彼らのほうがよっぽど戦前・戦中の教訓に疎いような気がするのは気のせいですかね。