四畳半神話大系感想


そういや最近はTVシリーズのアニメ作品の感想を書いてなかったな〜と思ったので、今更ながら四畳半神話大系について。


個人的には最初の1・2話を見た時点で自分の好きな作風では無かった(と言うか、嫌いな作風だった)ので、あまり真面目に見る気はわかず、一応どういうふうにオチをつけるのかだけ気になったので最後2話くらいは見ようかと思って、間の話は五葉を見るついでに流してたような感じ。
その私が言うのも何ですが、この作品は間違いなく傑作です。まあ最後を見た今でも作風は嫌いなままですがw


作品の基本構造は、“日常”の“繰り返し”とまとめることができるでしょう。この2つの要素は珍しいものではなく、最近のアニメ作品にも少なからず見られるものですが、それら他作品とは異なる独創性がこの作品にはあります。


“日常”を描く作品としては、らきすたけいおんなどが思い浮かびます。それらの作品は何も話の進展が無い内容だと揶揄されることがありますが、四畳半神話大系のように“日常”を“繰り返す”作品と改めて対比されると、それらの作品においてもエピソードの積み重ねによってきちんと作品の厚みが生まれているのだということに気付かされます。
そしてまた、らきすたけいおんで描かれる日常は、実際のところ、いわゆる普通の日常の中でも面白い部分や心地よい部分だけを抽出し濃縮した、日常と言う名のファンタジーとして作り上げられているのに対し、四畳半の中で繰り返される日常は、どちらかというと冴えない、少なくとも主人公の夢見た楽しげなキャンパスライフとは遠く隔たれたものとして提示されます。
これらのことから、一見するとこの作品における“日常”の描かれ方は他作品よりもネガティブであるかのように見受けられます。


他方で“繰り返し”という側面に焦点を当てると、ひぐらしうみねこが思い浮かびます。それらの作品は、同じ場所・同じ時期における非日常の体験を繰り返しながら、しかし毎回そこでは異なった展開が繰り広げられることで、それらの体験の共通点を浮かび上がらせ、そこから隠された真相に辿りつくという構成になっています。ここでも四畳半神話大系は対照的で、繰り返される日常の体験には必ず似通ったオチがつくものの、その中から共通点よりもむしろ差異が見出されます。


“日常”をネガティブに、似通ったオチを“繰り返し”ながら少しずつ差異が浮かび上がる、いわば既存作品の逆をやってるわけです。それも既存作品が「面白くする」ためにやってる仕掛けとは逆のことを。
なんでそんなことをするのか、この作品の最終的な落としどころはどこなのか、非常に不思議に思いながら最後の2話まで辿りつくと、そこでアッと驚く大どんでん返しが待ってるわけです。作品中の“繰り返し”で見出された差異を改めて整理すれば、登場人物や周囲の環境の多面性が浮かび上がり、それまでネガティブなものとしてだけ捉えられていたはずの“日常”が、本当は豊かなものだったのだという認識が立ち上がってくる、とても劇的に。


そこから改めて既存作品と比べると。
らきすたけいおんがファンタジーとして日常を幸せに描いているのは、現実の生活に疲れたり退屈していたりする視聴者に、何らかの癒しや楽しさをもたらすかもしれない。けれども、個々の視聴者の、自身の現実の生活に対する見方を変えるものは無いでしょう。
ひぐらしうみねこが繰り返される惨劇を乗り越えて真相を解き明かし大団円に向かう様は、視聴者に大きなカタルシスや何らかのメッセージを示すかもしれない。けれども、個々の視聴者の、自身の現実の生活に繋がるような地に足の着いたものでは無いでしょう。
しかし四畳半神話大系は、日常をいっさい美化せず、さんざんネガティブなものとして繰り返し描いた上で、後からそれらをポジティブに捉え直す過程が作品中で提示されることで、見終わった視聴者に、自身の現実の生活を肯定的に捉え直すきっかけを与えるものです。


TVシリーズで心揺さぶられる経験は久しぶり。嫌いな私がそう思うんだから、こういうのが好きな人は感動すること間違い無しです。未見の人はぜひ一度触れてみてはいかがでしょうか。