こころがテーマだからね


ハートキャッチプリキュア!の堪忍袋のくだりをまとめた方がいらっしゃるようで。エピソードにあわせて変化する口上という意味ではロム兄さんとか思い出しますね。ブロッサムはキレやすすぎるなどと半ば冗談のように揶揄されたりもしますが、戦う女の子が悪と対峙して機嫌悪くなるのはよくあることかとw


まあこれだけ読むと、デザトリアンとなった犠牲者の心情吐露をバッサリ切って捨てる砂漠の使徒の主張は、その名のとおりドライに乾ききった視点であり、それはそれで一理も二理もあるかのように感じられますが、プリキュアたちはそれに反論する。みんなそんな割り切って生きてないし生きられないだろと。あるいは割り切れない生き様にこそ意味があるんだろと。
つまりこの問答を通して描かれているのは、カラカラに乾ききって花も咲かないようなタフさよりも、心に花を咲かすような生き方のほうが素晴らしい、たとえしおれるようなことがあろうとも、その弱さも含めて価値があるのだ、というような思想でしょう。これはある意味、世界的不況のさなかにあって1人1人が自分の独力だけでは生きづらい・生きられない時代になり、一時期はびこった自己責任論にも疑問が呈されている、今現在の時代性や世相のようなものを反映しているのかもしれません。


もう少し細かく見ていくなら、デザトリアンとなった経緯は、悩みを1人で抱え込んだがゆえに砂漠の使徒に利用される展開ばかりで、そして戦闘中にその悩みが吐露され(それを関係者が耳にすることによって)戦闘後のフォローにより悩みが解消されていくというパターンがほとんどです。このことから「悩みは抱え込まずに誰かに相談すれば、きっと解決する」「周りから見れば瑣末事でも本人にとっては一大事だったりする、そういうことに配慮しよう」というメッセージが具体的に発せられてることがわかるでしょう。子供向け番組という文脈で読み解くなら、前者は子供達に向けられており後者は(子供達といっしょに見ているであろう)大人達に向けられていて、子供と大人の間のディスコミュニケーションを減らそうとしている、とも考えられます。


総じて、お互いがお互いの弱さをもっと積極的に受け入れていく生き方を提案しているように見えるわけで、けっこう深いですよこの作品。まあ正直、水樹奈々ボイスの女子中学生に擁護してもらえるのなら、私もデザトリアンになって弱さを吐き出したいわ〜と思うし(台無しです