本を焼くものは


結局9月11日にコーランを燃やした牧師が居たとかで。直前まで燃やす燃やす言ってた人はカルト系らしいって話だけど、この牧師もそっち系の人なのかしら?
本人は動機を「イスラム教徒が偽りの神を崇拝していると信じるからだ」と言っているけれども、あえて9月11日を選んだからには、9・11テロに対する怒りをイスラム全体に向けているというのは間違い無さそう。しかしテロに加担などしていない大多数のイスラムの人々から見れば、テロ=イスラムと短絡して叩く態度を見せ付けられても「いったい誰と戦っているんだ・・・」状態だろうし、その中で自分達の精神的支柱である聖典を焼かれるのは我慢ならんだろうと想像するところ。他方でテロを首謀している連中からすれば、憎悪の連鎖は紛争をより長引かせる下地になるわけで、実はありがたいのではないかと。
つまるところコーランを焼く行為は本当に憎むべき相手にはなんらダメージにならないわけで、壮大な誤爆にしかなっていない。どころか、それ以外の平穏な人々にまでいらぬ憎悪を植え付けることになり、相手にとってはむしろ思う壺。何もいいことはないはずなんだけど・・・。その点を指摘されても「別に相手のことなんざ考えてない、俺の鬱憤が晴れればそれでいい」とか開き直ったりもしそうで、こういうのは本当に始末におえない。