誰得?規制推進派得?


コトがおおむね終息してから言及するのもどうかと思ったけど、「規制に対する報復として性暴力」ツイートの件。
字面だけ見て考えれば、「報復として性暴力に走る奴がいても不思議ではない」という主旨であって、「俺がそうする」では無いわけだけど、でも「ワシは落ち着いて話したいんやが、組の若い衆は血の気の多いモンもおるからのー、こっちの顔を立ててくれんと、手がつけられなくなるかもわからんのー」的なレトリックではあるよねコレ。そういう意味じゃ太宰メソッドの変奏?とも言えるわけで、形式上、発言者本人による恫喝にならないようにしてるだけに見える。結局は性暴力をほのめかすことを恫喝として利用している構図になっていて、それも、規制された表現の代償行為としてではなく(それはそれで問題だけれども)、規制した相手への攻撃手段として挙げているので、どうにも看過できないですね。


そもそも、(さんざん突っ込まれているとおり)女性一般に対する性暴力が規制を進めている主体に対する攻撃に当たるのか、という点からして疑問なのですが、ブコメに以下のような言及があってビックリ。

sillyfish メタブ, ジェンダー, セクシュアリティ なぜ攻撃対象が女性一般なのか、って「保守ジジイ」にお前らが所有する女性の「貞操」を損壊してやるぞ、と脅迫できるからだよね。女性は人質にすぎず、脅迫によって交渉する相手ですらない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/87141


当人がもしこういう真意で当該ツイートをしていたのだとしたら本当に醜悪としか言いようが無い。すなわち、女性一般のセクシャリティを規定したがっている「保守ジジイ」の価値観を知った上で、その価値観への攻撃のためにやはりその女性一般のセクシャリティを蹂躙するという意図であり、女性一般のセクシャリティを蔑ろにしているという点では「保守ジジイ」と何も変わらない。仮にこのような戦術が現実的で有効であったとしても、自分は絶対に与したくはないなあ。だってこの戦術が結実するってことは、「保守ジジイ」どもが女性一般のセクシャリティを規定し続けるのを追認するかわりに自分達の立場を認めさせるってことなので、女性一般のセクシャリティがそのように抑圧され続けなければ自分達にとっても都合が悪くなるってことじゃん。そんな結果に着地して「規制されずに済んでよかった」なんて安心するくらいなら、いくら戦術が非現実的と言われようとも自分は表現の自由原理主義者のままでいいわ。


民主主義政治が、異なる価値観を持つ者の間の利害調整機関として働く際、「俺らの利害をいっさいがっさい無視して政策を決めるのなら、もうお前らのルールには従わない」という民衆による自力救済を発動させないために、「あなたがたのことを決して蔑ろにしてるわけではありませんよ」という配慮が重要になる*1という前提はわかりますが、その前提を想起させるためだったとしても、その手段として女性一般に対する性暴力を挙げるのは酷過ぎると言わざるをえない*2。仮に全ての女性が規制推進に加担していたとしても、「だから女性の人権を蹂躙する」というのでは、「気に入らない政治運動をする相手に対してならその人権を蹂躙してもよい」と言ってるも同義で、自らが掲げる表現の自由の根幹にある人権思想とも真っ向から対立するでしょ。自力救済をほのめかすにしても「秋葉原and/orビッグサイトから警察を締め出し、独立自治区を宣言する」とか、もっと夢のある(?)主張ができないものかと。


まあいずれにしても、自力救済をほのめかす戦術は、ガチの規制推進派には効かないと思いますよ。向こうは規制反対派を少数派だと思っていて、もし本当に反対派が自力救済に動こうものなら喜び勇んで警察力を動員し鎮圧して気勢を上げるでしょうから。そして積極的な推進派じゃない人や中立派の人はそのような恫喝を恐ろしいと捉えたとして、むしろ対話の回路を閉ざしてしまうでしょうから、逆効果にしかならない。そうするとガチの推進派は喜びますねw
いや、本当に誰得だったんだよと。

*1:その意味では、可能なかぎり全ての利害関係者を議論に参加させた上で政策決定することが必要で、議論を尽くさないままの強行採決なんかが問題視され忌避されるのもそういう理由。今回の都条例の件では出版社や消費者の側の意見が全く無視された形のところ、担当役人は「法的手続きに則っているのだから民主主義的にも問題ない」という態度をとってるのが非常に問題。警察からの出向者が担当する前の、出版社との話し合いを尊重する政策決定であったなら、ここまで反発は出なかっただろうという話もあります。

*2:つか、社会への不満を理由に性犯罪を正当化するって、それ単なる性犯罪者だよね。