金を配りたいだけでしょ


子ども手当てのために子育て世帯にも課税するなどという話が。
純化すれば「50円配るために100円徴収します」みたいな話に見えて、それだと本当に無意味だけど、税率には累進性がかかるだろうから「50円配るために、金持ちからは100円、貧乏人からは10円徴収します」ってのが実態に近く、富の再分配としての機能はあるはずなので、完全に無意味というわけではない。
が、それは単に無意味ではないというだけにすぎず、富の再分配を目指すのであればもっとマシな方法はある。それこそ、子ども手当て以前の、控除でもって実質的な再分配を行なう制度設計のほうが、再分配過程でのロスが少ないはず。なので、いずれにしても褒められた方法では無いよね。
てゆーかね、「子ども手当てがダメだったらもう衆院選のとき掲げたマニフェストが全滅しちゃうから、何としてでも、どんな形になってでも子ども手当てだけはやる」って必死すぎるのが透けて見えちゃってて、子ども手当てより優れた方法があったとしても子ども手当ての形式だけは絶対に譲らないっていう方針が、もう政権としてダメダメすぎるだろ。現行の子ども手当てが法案として審議されてる時点でも既に指摘されてたとおり、子ども手当てという手段によってどのような目的を果たそうと考えているのか(単なる富の再分配なのか、経済刺激策なのか、少子化対策なのか、etc)がそもそも定まっておらず、単なる手段にすぎないものをマニフェストとして掲げてしまったから、今や引っ込みがつかなくなって、その手段を目的化するための本末転倒な政策をするハメになっちゃってる*1んであってさ、もうそのマニフェスト自体が間違ってたことを認めるべき段階に来てるんじゃないの?


内閣改造なんかよりも、無茶なマニフェストを実現するためだけに動いてきたこれまでの政策を反省し改めることがまず必要なんじゃないかと。

*1:もし(子ども手当てという)手段ではなく(富の再分配なり少子化対策なりといった)目的をマニフェストに掲げていたなら、子ども手当てという手段に拘泥することなく政策決定できていたはず。