美談で済ますな


全国でいろんな人がいろんな施設にいろんなモノを寄付するのが流行ってるようですが。しかし一番いいのはやっぱりお金だと思うんですよね。それは、モノではなくお金であればその施設の必要に応じて柔軟に使えるということはもちろんだけど、モノの形だとどうしても「ある人が寄贈してくれたモノ」という色が付いてしまって、慈善事業としての性格が前面に出てしまいかねない。そのことは、一連の発端となった児童養護施設というところに限って考えると、入所している子供たちに、自分達が「かわいそうな子供たち」とみなされることを意識させてしまうという懸念があります。そもそも、彼らを社会が支援するのは当然のことであり、彼らは胸を張ってその支援を利用してよい、と考えるべきなのであって、本当はそこに憐憫の情なんて差し挟む余地は無いのですが。だから、困窮するがままの彼らに市井の伊達直人が手を差し伸べるとき、それは、本来社会全体で取り組むべき義務が不履行なまま、個々人が一過性の寄付で自己満足し周囲がそれを美談として称揚しているに過ぎず、我々は彼らに恒常的に十分な支援をできてないことをむしろ恥じるべきなんだよね。
今回の件で児童養護施設に目が向けられたのはいいことだと思うけど、一連の経緯をただただ善行として誉めそやして終わってしまうのではなく、彼らへの恒常的な支援の底上げを考えないといけないと思います。すなわちそれは、個人の色の付いた贈り物による慈善事業などではなく、国民から広く徴収した税金によってなされる彼らへの当然の福祉である、ということです。
この件に関して、現時点でそういう内容の政策を主張している政治家を見かけないのが残念ですね。私の知るかぎり保坂展人氏くらい?あるいはマスコミがこの件を政治イシューだと認識していないから政治家にそういう質問をしてないだけかもしれませんけど。何にせよ、まだまだ問題意識が低いのだなあと痛感します。