劇場版ハガレン感想


今日は鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星を見てきました。上映開始から1週間過ぎてたにもかかわらず先着来場者特典の11.5巻が普通にもらえたのにはビックリしましたけど、でも自分は原作コミックス集めてないからコレだけ持ってても・・・とビミョ〜な気分。まあもらえるものはもらっとくけどさ。


事前に何も調べずに見に行ったんだけど、これ時間軸的にはテレビシリーズ(FAのほう)終了後の話じゃなくて、その途中に挟まる外伝的エピソードだったのね。後付け外伝にはありがちなこととは言え、これだけ大きな事件がありながら、本編のほうに何も影響もないってのは、やはり違和感を感じなくも無いwまあそこらへんは個人差あるか。そしてこれまた外伝のお約束で、原作メインキャラよりも本作ゲストキャラの人数のほうが多く、エルリック兄弟以外の原作メインキャラの活躍はほとんど無いから、人によってはそこに不満を持つかも。
しかし外伝だからと言って単なる世直し道中記で済ませてるわけではなく、きちんと原作本来のテーマが描きこまれてるのは普通に偉いと思う。そして見た後に改めてタイトル読むと、「嘆きの丘」と書いてミロスと読ませてるのもまたうまいというかミステリ作家っぽいというか。
物語的には、最初に謎の事件が起き、少し落ち着いてから情報が整理されてだんだんと状況が明らかになってくる作りもまたミステリっぽく、好き嫌いはあるかもしれませんが個人的には引き込まれる内容でした。導入部の畳み掛けるような展開の連続に比べると、クライマックスシーンがやや冗長な感じが無くもないですが、全体としてはかなりデキのよいエンターテインメントだと思うので、安心して見に行っていいと思います。


以下ネタバレあり。








坂本真綾が普通にヒロインしてて、個人的には結構好きな描かれ方をしていたんだけど、あくまで原作あっての外伝だと考えると、原作に重きを置く人から見てやや出しゃばり過ぎと悪印象を持たれてしまいそうな感じがした。そのへんのバランスを取るためにウィンリィを登場させてきたんだろうけど、作劇上はあえてウィンリィを出す理由が全然無い(「オートメイルは壊れませんでした」で済ませられる)ので、かえってそっちのほうが蛇足に感じられる。まあ自分はウィンリィも好きなので、別にいいんだけどねw


他方でマスタング組は、中盤までの情報整理&事後処理の役を担いつつも、一番おいしいクライマックスでの見せ場が無かったのには拍子抜けした。つか、大佐本人がわざわざセントラルから現場まで、ちょうどクライマックスのタイミングにあわせて到着してるのだから、見てる側としては当然に(エルリック兄弟やクライトン兄妹ほどでは無いにしても、脇役なりに)見せ場が用意されてるのであろうと期待するところ、本当にほとんど全く見せ場が無くてビビる。狼キメラとは実際に交戦してるんだからさー、もうちょっと見せ方変えるだけでそこそこのサービスシーンを用意できたはずだけに、ちょっと残念。


シナリオの核心である、ミロスは賢者の石精製装置でしたって事実や、実はアシュレイは偽者だったのだーって展開、そして本物のアシュレイも生きてたのだーって展開は、王道ながらもうまいドンデン返しだったと思いますが、しかし、狂人じみた偽者アシュレイを始末してくれた本物アシュレイも同様に狂人じみてるように見えて、「いやコレさー、偽者と本物の二段構えにする意味ほとんど無かったんじゃね?」と感じてしまうのはマイナス。
確かに、単なる強欲野郎だった偽物アシュレイと、自分の運命に悲嘆するあまりに力を欲するようになった本物アシュレイとでは、悪役のキャラ付けとしては本質的に全然異なる方向性ではあるんだけど、本物のほうの本性が描かれるのがクライマックスの短い尺の間に限られ、しかもその大部分は、中盤でジュリアと偽物との間で繰り広げられた帰属意識論争の繰り返しに見えちゃうんだよね。実際には、偽物はコウモリ連中を騙そうとしていてその演技の中で論争になったに過ぎず、本物との論争は兄妹間の本心のものだったので、その重要性には大きな違いがあるんだけど、表面的なやりとりは全く同じで、しかも最終的には偽物も本物もジュリアにとっての敵対行為を続けるという点で一致してしまうため、1時間半という映画の尺の中では2人の同じような印象の中に2人の重要な差異が埋もれてしまう。
偽物が狡猾に騙そうとしてるなら中盤の論争は当然に起きるべくして起きたものなんだけど、そういう意味では、偽物と本物の印象の同一化を避けるためにそこはあえてカットして、「不自然に物分りのいいお兄ちゃん」にしておいたほうがよかったと思う。そうすると途端に偽物臭がキツくなって見え見えにはなっちゃうんだけど、この作品は別にミステリじゃないんだから、トリックの周到さにこだわるよりは、偽物と本物の違いを明確にすることに注力したほうがいいでしょ。それにそのほうが、クズ野郎の偽物を排除してようやく本物のお兄ちゃんに再会できたのに、その本物とは分かり合えないっていう悲哀をより強調できるし。


良かった点としては、けっきょく賢者の石は使われ、テロも成功し、そのおかげでミロスの人々は難を逃れ、また独立を勝ち得た、という経緯について、それを安易に肯定するのではなく、エドに否定させることで、その是非の判断を視聴者に委ねていること。「絶対善/悪など無い」という立場を標榜する作品の多くが、主要登場人物に価値判断を保留させるだけで済ませてしまうケースが多い昨今、主人公がきちんと価値判断を下したうえで視聴者に問いかける終わり方になっているのは個人的には評価高いです。


長々とグダグダと書きましたけど、エンターテインメントとしての全体のデキのよさに比べれば、不満点はごく微々たるものなので、良作だったと思います。