いじめの怖さ


2ちゃんねるに書かれる実話系の話として復讐劇の類が根強くあるようで、まあ2ちゃんねるに書かれるような“実話”なんて9割方はウソだろうと思うんだけども、しかし実際に復讐が果たされたケースも皆無ではなかろうとも思うんだよね。
もちろん法治国家において私刑は許されることではない、というのは大前提だけど、そのうえで思うのは、悪意でもって他者へ危害を加えるのがどれだけ危険か、そして、そのような状況を仲裁・救済する社会的機能の必要性・重要性について、もっと広く認識されるべきじゃないのかなあ、ということ。
他者へ危害を加えることは基本的に違法行為に当たるだろうけど、そもそもなぜ違法行為として定められてるかといえば、「私は貴方に危害を加えないから、貴方も私に危害を加えないでください」という一種の紳士協定としての側面があるわけでね。いじめ(=傷害)にせよ悪口の言いふらし(=名誉棄損)にせよ、何らかの形で先に他者に危害を加えたとすれば、それはつまりその紳士協定を先に破ってしまったのだから、相手は一方的に害を受けたうえでなお自分だけ行儀よく紳士協定を守っていようとは考えないかもしれない。「撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ」なんてセリフがあるけど、自ら紳士協定を破った者は、もはや自分が紳士協定で保護されるとは思うな、ということ。裏を返せば、ルールを守るのは自分を守ることでもあるわけですね。
そういう意味では、ネット上で語られるこの手の復讐劇には、実話であれフィクションであれ、「危害を加えたら、やり返されるぞ」というシンプルな教訓が含まれている。けれども読み手の反応としては「スカッとした」みたいな娯楽として消費されてる傾向が多く見受けられるようで残念です。なのでこういう形ではなく、もっと教育的な方法で「いじめは(いじめられてる側だけでなく)いじめてる側の将来をも破壊する危険がある」ということを広められないもんかなあ、などと思ったり。
と同時に、そのような危害によって二者間の紳士協定が機能しなくなるギリギリの状態において、仲裁・救済を請け負うべき立場の者が適切な対処を行なわなければ、危害を受けた側が自力救済に走ってしまうのを止められなくなるということも言えて、学校や教師がきちんと問題に対処できるような体制を(担当者の努力などという精神論ではなく、制度として)整える必要性が、もっと認識されるべきなんじゃないかなあ、とも思う。具体的には、カウンセリングなども含めて児童の相談や問題解決にあたる専門のチームを、学校の指揮系統の下には入らない形で、かつ学校に対する改善勧告等の権限を持たせて、各学校に配置する、とかね。
本当は復讐に至るよりももっと手前、復讐を企図するほどまで追い詰められる前に、穏便に済まされることこそ最良なんじゃないのかな。