目標設定の問題では?


報われないかもしれないから努力なんてしないほうがよくね?という話題で盛り上がったようですが、まあ成功したときのリターンに比べて徒労に終わるリスクのほうが大きいと考えるならそういう判断もあろうかと。
というかまあ、「夢や目標のために努力する」というのは、言い換えるなら、「夢や目標を達成するためにヒトが出来ることと言ったら、努力くらいしかない」ってことであって、だからこそ、徒労に終わるかもしれない努力をそれでも続けようと思うのは、そのリスクを抱えてまでも叶えたい夢や目標があるから、ということでしょう。だから、日々のちょっとしたことを改善する程度の努力(遅刻しないように気をつけるとか)ならともかく、人生の大きなマイルストーンになるような大きな目標へ向かっての努力ってのは「徒労に終わるかもしれない」というある種の絶望を受け入れた先にあるものであって、本人がどうしようもなくそれに恋焦がれるような情熱に突き動かされ徒労に終わる可能性さえも覚悟した上で自発的にやるものだし、他からそれを強制できるもんでもない。
なので、このスレの>>1が徒労は嫌だってんなら、それはもう本人の意志で徒労の少ないであろう人生を送ればいいんじゃね?と思うけど。


と同時に、誰しもがかように強い情熱と覚悟を持ってるわけではないけれども、しかし>>1ほどには努力を放棄していない、その処世の仕方としては、スレ内で再三指摘されてるとおり、失敗しても徒労に終わらないようなリスクヘッジをうまくかけることによって、第一義的な目標が達成できなかったとしても努力してきた内容が他の目標や次の目標に転用できるような形で努力する、というのはありますね。その場合、遠大な目標から逆算して段階的に何を達成できなければいけないかを考えるのはもちろんですが、それ以上に、いま自分のできていることから積み上げていった過程で何が得られそうか・どこまでいけそうかを考えるのが大事で、自分が得意なことを活かしてその延長線上で様々なものを得ていきあわよくば最終目標を達成しようというのが堅実な方法でしょう。
そして理想を言えば、自分の得意なこと=楽しいことであったなら、たとえその努力の道程で得られるものが少なかったとしても、その過程自体を楽しめるだろうから(それだけ幸福な時を過ごせたわけだから)徒労にはならない。絵描きになるのを目標に絵の上達のための努力をする人と、絵を描くのが好きで好きでたまらなくて絵描きを目指す人とでは、たとえ目標を達成できなかったとしても後者の人は幸せに暮らせるんじゃないかな。現に商業を目指さずに同人やって充足してる人なんていっぱいいるわけだしね。


そういう意味じゃ、「どうしてもこれを叶えたい」という居ても立ってもいられないようなモチベーションを持ってるのでなければ、自分の身の丈にあった、自分の手の届く範囲で努力して得られそうな目標は何かをきちんと見出し、そこで充足していくことが、個人の幸福にとって重要なことなんじゃないかなと思う。
子供のうちは「夢を持て」「夢を目指して努力しろ」と言われ、実際に大学生くらいまではモラトリアム期間として自分の色々な可能性を試しうるけど、そこで何かしら突出した情熱も能力も見出されなかったのなら、そこから先はとてつもない目標に向かって無闇矢鱈と努力するのではなく、もっと平凡な人生を歩んでいくことに充足できるような、自ずとそういう価値観を育めるような社会であれば皆もっと幸せに暮らせるんじゃないかなあ。