犯罪の温床たる社会


大阪の通り魔事件は亡くなった1人がニトロプラスの音楽担当の人だったということで注目を集めているようで・・・まずは被害にあわれた方ならびにご家族の方々にお悔やみ申し上げます。


犯人の動機が「死刑になりたかった」というものだったために、「だから死刑を廃止すべき」などと主張する向きもあるようですが、その論理はあまりに短絡的で、危険ですらあると思います。「その刑を受けたいという動機で犯罪に走る者がいるのだからその刑を無くせ」という理屈を突き詰めていくと、「万人が苦痛と感じるような内容しか刑罰にしてはならない」というような話になり、リンク先のコメントなどにも散見されるような「人体実験の被験者にしろ」とか、そういう主張が正当性を帯びてまかり通ることになる。


個人的な見聞で言えば、学生時代のアルバイト先で万引き犯が捕まったことがありました。その人は前科者で、食うに困るなどして食料品を盗んでいたってことなんだけど、取調べで「ムショに戻れるなら今の暮らしぶりよりはいい」というようなことを言ってたとか何とか伝え聞く。こういった事例は今や珍しいことではなくて、刑務所がさながら生活困窮者の収容施設になっている側面もあるのだそうな。


そういう人々を見て、「刑務所暮らしを望むなんてけしからん!懲役をもっと苦役にすべき!」というのは簡単だけれども、それでは何の解決にもならないのは火を見るより明らかでしょう。彼らが犯罪に走ったのは、よりマシな生活を求めて最適な戦略を採った結果です。もっとわかりやすく言うなら、彼らにとってシャバはムショよりも苛酷な環境だった、ということであり、社会が救済してくれないなら自力で救済するしかないとばかりに追い詰められて犯罪に至っている。そのような状況がある中で、もし仮に懲役をもっと厳しい刑罰にしたらどうなるか・・・軽微な犯罪は減るかもしれないけれども、ヤケを起こして今回のような事件を起こす輩が増えるのではないでしょうか。


罪は罪として当人が償うべきものであり、擁護しようとは思いません。が、何がこのような状況に拍車をかけているかと言えば、彼らに刑務所未満の生活しか与えることのできないこの社会です。セーフティネットの底が抜けてしまっている現状を放置したまま、「シャバよりもムショのほうが辛くなるようなバランスにさえなってればOK」とばかりに小手先で刑罰の軽重だけ操作する方法では、社会に貧困が広がるのに伴って刑罰をどんどん重くしていくスパイラルにハマるだけで、何も改善しません。


本件も、まだ捜査が進んでいない段階でこういうことを言うのは不適切かとは思いますが、「死にたい」「いっそ殺してくれ」「死刑にしてくれ」という動機は、結局のところ今の世の中で生きていくのが辛いということでしょう。死ぬよりも生きていたいと思わせるだけのものを与えられなければ人はこういう凶行に走りうるわけで、つまり生き続けようと思える最低限の希望を社会が提供することこそこういう事件の根本的な予防に繋がります。具体的には、福祉をはじめとしたセーフティネットを充実させ、貧困を減らしていくこと。
そういう視点で見れば、この件に絡めて「死刑を無くせばいい」と主張することがいかに浅薄で問題の本質を外しているか、というのがよくわかるかと思います。そういうことじゃねーだろ、と。


まあしかし、政府は景気対策どころか福祉改革まで後回しにして消費税増税最優先に舵を切り、とうとう自民党までもがそこに乗っかろうとしている情勢だそうで、ますます貧困は広がり福祉も足りないままの状況が続くよう。煽るつもりはないけれど、これじゃあこれからも同じような事件は起こり続けるんじゃないかと思うよ。