わざとかもよ


劇場版まどかを見たと思しき親子連れの様子についてのツイートに端を発して、劇場版まどかは自主的にdisclaimerを出すべきだったのではないかとか議論が白熱してるらしい。
元ツイートの真偽自体不明で、正直、非実在児童なんじゃないの?という気もしますが、問題視してる人らは表現者側の振る舞いの妥当性を問題にしてるっぽいので、実際にそういう親子連れが居たかどうかは関係ないでしょう。


既に指摘のあるとおり、見た目として表現に問題が(児童に有害といえるレベルで)存在するなら、その審査結果を公示するのが映倫の仕事。実際のところ審査結果は全年齢扱いで問題なしとのことですし、現に直接的な残虐描写は皆無なので、その点については争点にならないかと。


問題にされているのは、かわいらしいアニメを彷彿とする見た目でありながら、フタを開けてみれば深刻な物語が展開される、という構造の作品において、それが事前に通知されないことに道義的な責任を求めうるかどうか、ということでしょうね。
この視点は俺妹の一件で取り上げた話に共通するけど、あの件においては劇中に登場させるエロゲが実存するか否かは物語に大して影響を及ぼさないにもかかわらずあえて実存するエロゲを登場させたことについての覚悟が問われて、実際にその覚悟もなしにやったんだろうなあという感じでしたけど、本件に関しては製作スタッフはかなり自覚的に覚悟をもってやってると思うよ。つまり、来場者が全く予想していなかった展開を予告なしにぶつけて、結果「このスタッフは悪趣味だ」「子供向けを偽るとは何事だ」と批判される覚悟の上でやってるはず。


この作品は、魔法少女モノというテンプレートを破壊し再構築することを通じて新たな物語を提示しようというコンセプトで、それを実現する手法としてキャラクターデザインや物語の導入など既存の魔法少女テンプレを踏襲しつつも、そこから一転して既存のテンプレから乖離した深刻な物語が展開される、という構造になっています。視聴者が魔法少女テンプレに対して持っている先入観や期待を裏切ることによって価値観の転換を図ろうとしている。そのことについてdisclaimerを入れろと言うのは、「この作品には裏切りがありますよ」と予告するようなもの。
本当に裏切る展開というのは、何も匂わされていないところから突然に来るからこそ真に裏切りたりえる。何かしら匂わされているところで裏切っても、それは予定調和の一種にしかならない。かわいらしい魔法少女たちが登場するというアニメを見ようとするとき「この作品には残酷な描写があります」というdisclaimerがなされれば、警戒し、警戒されるから裏切りは予定調和になる*1
だから、この作品において、そういうdisclaimerを入れることは、作品の尖った部分を丸めてしまうことになる。批判を避けるためにそれでも丸めちゃうという選択はあるけど、批判を受けてでもこの表現を貫くという選択だって(批判される覚悟の上なら)あっていいでしょ。


余談になるけど、そういう意味では、製作スタッフはこの映画を既存ファン向け・内輪向けの総集編とは考えていないんでしょうね。もしそう考えているなら丸めちゃっても全然問題なかったわけだし。そうではなく、「この映画で初めてまどか☆マギカを知る人も、TVシリーズを見た人と同じように裏切りを味わってもらいます」って律儀にやろうとしてるように見える。


で、そうやって既存ファンだけでなく、外の人々・新しい人々にもこの作品を楽しんでほしいと望むほどに、裏切りは隠されなければならない。それがこの作品の本質に関わるから。
何も知らずに、でも何かしら期待をもって映画を見始めて、しかしその期待を全く裏切る展開を目の当たりにすれば、アクシデントにでも遭ったかのような気分になるかもしれない。それを素晴らしい裏切りと取るか酷い裏切りと取るかは、結果として受け手にとって面白かったかそうでないかに依存する。だからそういう作品の評価は、受け手はアクシデントに遭ってみないかぎりわからないし、送り手はアクシデントを起こしてみないかぎりわからない。
そういうアクシデントによってしか作り出せない面白さは間違いなくあって、そのために送り手は意図的にアクシデントを起こそうとする。「disclaimerがあったら避けたい人は避けられたじゃん」ってのは仰るとおりなんだけど、逆に、だからこそ「避けられないようにするためにあえてdisclaimer付けませんでした」がありうる。アクシデントが嫌いな人・アクシデントには絶対に遭遇したくないという人にとっては傍迷惑な話で、批判も不満もいろいろとぶつけられるでしょうけど、それ以上に「アクシデントだったけど、でも面白い」と言ってくれる人が多いだろうことを期待して送り手はそうしているはず。これは送り手にとってもバクチ的な側面があって、最終的に批判のほうが多ければ、その送り手は悪趣味な下手糞としてその名が記憶されることにより社会的制裁を受けることになるのでしょう。


だからまあ、本作のスタッフは何も考えて無いとか迂闊だとかいうことはなくて、覚悟した上でやってんじゃねーの?と推測します。まあもしこれで上映途中からdisclaimerが追加されるようなことでもあれば、覚悟の無さ・あるいは貫徹できなかった根性の無さを、改めて盛大にプギャーすればいいんじゃないかと。

*1:そういう意味じゃ、「まどか凄いぜ、とりあえず3話まで見てみろよ」って言われて見始めた人や、「虚淵が書いてるらしいぜ」って事前情報で見始めた人も、本当の意味では裏切りを味わえていない、とも言える。