企業の利益は誰の利益?


自民党改憲案についての内田樹の評を読む。細かいところで異論はあるにせよ、この改憲案に「グローバル企業の利益を最大化するため庶民は奉仕せよ」という空気が通底している、との見方は非常に鋭く、腑に落ちますね。
重要なのは、国は弱者を助ける義務を負う(国民がそのように義務を負わせうる)のに対し、企業はその義務を負わない(国民よりもずっと少数の株主が自分達のために行動指針を決める)ということでしょうね。だから国家がグローバル企業に媚びたり隷属したりするようになると、弱者は全く救われない状況になってしまいかねず、この改憲案にはその兆候が見て取れる、と。


これはこの改憲案を起草した政治家達だけが悪い、ってわけではなく、企業の利益拡大を全面的に称揚するような風潮がもともと世間にあって、そのような風潮が(無意識下で政治家を通じ)改憲案に反映された、と見るべきでしょう。
例えば、「規制緩和が進めば企業は利益を上げやすくなる」といった主張がそこここで聞かれますけど、「だから規制緩和を進めるべき」とまで言ってしまうのは企業の利益だけしか注目してない意見です。国がかけてる規制というのは、確かに何かしら金儲けの障害になりえますが、国としてはそもそも国民生活を守るために必要なこととしてそのような規制を定めているわけで、つまり金儲けよりも大事なことがあるから規制で守ってるんでしょ。
一例を挙げるなら、労働基準法なんかも規制の一種とみなせますけど、これを緩和することで企業の利益が短期的に増大するにしても、結果として国民が幸せになるかといったら必ずしもそうではない、むしろ不幸になる可能性がある。あるいは過去の事例として、高度経済成長期の公害訴訟とかがあったから、現行の安全基準等が整備されてきたという経緯なんかもありますよね。
だから規制緩和するにしても、規制の内容を個別具体的に検討して、国民生活の保護と産業振興の便益との妥協点を丁寧に見極めるべきで、場合によっちゃ規制を厳しくしたほうがよい場合さえありうる。決して一般論として「ありとあらゆる規制の緩和こそ善」などとは言えないはずなのに、なぜか世間ではそのような一般論が蔓延ってるような印象なんですよね。これは結局、企業が利益を増大させることを無批判に肯定していて、それにより個々人の生活が脅かされる危険性を無視する態度なのではないかと。


そろそろ、企業の利益追求ばかりではなく、個々人の生活をどう守っていくかの視点が広く共有されるべきではないでしょうか。