貧困の再生産にしかならん


ちょうど一年ぐらい前でしたか、芸能人の親の生活保護受給が叩かれまくった成果が、閣議決定という形で実ったよ、というお話。
この決定によると、生活保護の申請者の親族についてもその財産等が調べられ、扶養できるなら扶養しろ、生活保護は認めん、となるらしい。今でさえ、いわゆる水際作戦によって申請者が門前払いされて餓死者が出たりしてるってのに、このうえさらに申請を拒否できる口実なんぞ与えようものなら、野垂れ死ぬ弱者が増えるだけじゃないのかと。まあ政府にとっちゃ、生活保護の予算を減らせさえすれば、死人が増えようとおかまいなしなのかもしれませんけどね。
さて、当時躍起になって件の芸能人を叩いてた人たちはこれで満足なのかな?自分たち自身にもし何かあって困窮することになっても、なまじ血縁者が存命なら、支援を受けられないかもしれないという、無理ゲーっぷりのハードルが上がりそうなわけですけれども。


この方向性を推進している安倍内閣は、「これぞ、血縁者同士が助け合う古き良き家族観の体現だ・・・美しい」などと思ってるのかもしれないけど、親族だからこそ憎しみが深いことだってありうるわけでね。「法的に縁を切れるもんなら切りたいわ」って、いっそう家族の間の関係がズタズタ・バラバラになるだけのような気しかしない。「アンタが生きてるから生活保護を受けられないんや」「アンタを扶養しなきゃならんせいでウチは貧乏なんや」とかって刃物沙汰が増えないとも限らんわけで。
文字通り死の瀬戸際に追い詰められれば誰だって何するかわからんから、人をそこまで追い詰めてしまう危険性に自覚的になって欲しいわ。つか、まず、人を死の瀬戸際に追いやりかねない制度変更だということを自覚してほしい。