近頃の話題


先週あたりに報じられてた、CGの児童ポルノが摘発された件、その後の詳報によると実在児童の写真を模写したものだったとか。その話が本当であれば、被写体児童の人権を守るため、という理念には合致するものではありますが、今このタイミングで摘発したの理由が国会で児ポ法規制強化の流れがあって警察がその空気を読んだからなのだとしたら、とんでもないことだよね。つまるとこ、警察の取締りの恣意性がこれによって示されたようなもの。そのときの雰囲気や気分で取り締まるかどうか決めるよ、などという捜査機関の本性が恐ろしいほど現れてしまっている感じ。
そしてもう一つ引っかかるのは、その模写の元が、過去には合法に流通していた写真集だったってことなんですよね。それらが非合法化・発禁になる過程において、被写体になった児童らに直接的な救済がなされていてしかるべきはずなのに、実際はその面倒を放棄し、ただ写真を取り締まるだけで事足れりとする警察や市民団体って実態があるわけで。「とにかくいかがわしい写真を取り締まれればいいんだ」って動機しか持たないくせに児童保護の看板を掲げ続けてきた彼らのせいで、いかにこの国の児童保護の政策が歪まされてきたかってなもんですよ。


規制推進派がいか不見識かってのは、例えば彼らが「手塚治虫は規制するつもりはない・規制されるはずないじゃないか」と言ったりすることにも現れてますね。手塚が漫画の神様と称されるのは、エログロなどまで含めた非常に多彩な表現を漫画上で展開したことも大きな理由になっているわけで、かつてその表現が有害コミック騒動の槍玉に挙げられたこともある。そういった内実や経緯を知らずに、漫画規制を訴えつつも手塚を称揚する姿は、手塚作品をろくすっぽ読んだことがないくせに、世間的には偉人扱いになってるからそれになびいてるだけの、単なる権威主義にしか見えません。
猪瀬都知事副知事時代に「手塚は傑作だから規制されない」なんて言ってますけど、手塚作品が傑作と評されるようになったのは、発表できる機会に恵まれ後世まで残ってきたからでしょう。これから生まれてくる作品は、まだ生まれてきていないのだから傑作として評価されるも何も無いわけで、規制を敷くということは、発表される機会・評価される機会を奪う行為に他なりません。これはつまるところ、未来の“手塚治虫”が出てくる芽を完全に摘むものです。
そういう、文化の土壌というものに対して決定的に無知・無配慮な人間が国会議員なり首長なりをやっている、という事実は、いかに日本が文化的後進国であるかをまざまざと見せ付けられているようで、恥ずかしくなります。


そんななか、コミケ準備会などが規制推進派に対する申し入れを行なったそうで。規制反対の動きがネット上の言説だけに留まることなく、国会議員や大臣や官僚にも見えるような形で可視化されることは、今後の規制のあり方に対して政治的影響力を及ぼすために非常に重要なことです。できればこういうのは、出版社などクリエイター側が出資して圧力団体を形成するのが望ましいんですけどね。まだ何か及び腰なんでしょうか。


参院選後に到来しうる表現規制の懸念としてはもう1点、TPPの知財関連分野の話がありますが、こちらについてはクリエイティブ・コモンズ・ジャパンが内閣官房に申し入れしたそうですね。その主な内容を箇条書きすると

  • 著作権保護期間を死後50年から70年に延長するのは、著作物の流通を阻害するので望ましくない。現在70年を採る米国においても、むしろ50年に短縮すべしという議論が出てきている。
  • 知財の損害賠償額の高額化は、知財だけ突出して特別扱いし過ぎだし、賠償金目的の訴訟ゴロが蔓延って社会コストが無用に高くなりすぎるから、導入すべきではない。
  • 著作権侵害非親告罪化は、著作権者の黙認する自由を侵害するので望ましくない。特に日本に特有の二次創作活動を萎縮させてしまう恐れがある。

といったところですかね。どれも妥当な主張ですが、これまでもこういった議論自体は政府内にあったはずで、安部政権はそれを無視して進めようとしている(聖域を要求するためのバーターとして生贄にしようとしている)っぽいので、はたしてこの意見に耳を傾けてもらえるかどうか。まあそもそもTPP推進からして前回の衆院選の公約違反なわけだから、TPP参加国から突っぱねられるなどしてとっとと頓挫してもらいたいところですけど。


著作権非親告罪化に関しては、対策として赤松健先生が同人マーク制定に動いてるようだけど、な〜んか違うような気がするんだよなあ。
一次創作者にとって重要なのは「訴えるか訴えないか判断を留保できる、裁量を握っておける」ことであって、事前の意思表示で一律許可することではないんじゃないかと。つまり「いかなる二次創作物も、権利者が訴えるまでは権利侵害として扱わない」という枠組みなんじゃないかと思うんだけど、それってまさに親告罪ということであって、法的には非親告罪化されてる社会において親告罪的な黙認を可能とする自主的ルールって確立できないのかな?教えて法律の偉い人!