また日本ユニセフか

NHKのニュースでやってましたが、日本ユニセフが、マイクロソフトとヤフーと組んで、なくそう!子どもポルノキャンペーンとやらを展開するそうです。
 

まあ明らかに、現在施行されている児ポ法を改め規制を強化しようという動きなわけですが、以前からも指摘しているとおり(これこれ)、この手の動きには欺瞞めいた“善意”の主張が数多く見受けられます。
 

まず前提知識として、この日本ユニセフという団体は、アグネス・チャンが看板となっていて有名な団体ですが、ユニセフという名前を冠しながら、国連のUNICEFとは直接の傘下でも一部署とかでもないです。基本的に日本ローカルの民間団体。
 

で、上掲のキャンペーンのサイトには、この団体の主張をまとめたスライドショーがありますが、突っ込みどころ満載なので是々非々で。
 

(1) 「子どもポルノ」について

ここで使われている「子どもポルノ」というのは法律用語ではなく、彼らが独自に定義して使っている言葉です。法律用語としてはまさに「児童ポルノ」という語がありますが、その言葉を使おうとしない。
児ポ法で規定される児童ポルノの定義は、実在の児童を被写体とする性行為の記録(写真や映像;電子データ含む)等のことを指すんですが、彼らにとってそれでは都合が悪い。なぜなら彼らはフィクションも規制しようとしているから。
 

(2) 「子どもの性が商品に」?

スライドではさっそく「子どもの性的虐待を描いたアニメや漫画、コンピューターゲーム」などが批判の槍玉に挙げられてますが、これらはフィクションであり、それにより直接の性的搾取を受けている児童はどこにも存在しません。
日本ユニセフは常々「フィクションであっても実在児童の性的搾取を助長するから」「実在児童の性的搾取に肯定的だから」という理由で、これらフィクションも規制すべきと主張しています。しかし、そのような理屈が是認されてしまうと、全く同じ論理で、反社会的な内容の描写や退廃的な表現はいっさい禁止すべきという主張が認められてしまいます。これは言論統制と呼ぶほか無いでしょう。
例えば「法で裁けない悪を断罪するダークヒーロー」というのは物語の類型の1つですが、このような物語も「法治主義を否定し、私刑を賛美するもの」として規制すべし、そういう主張を振りかざしているようなものです。
この例1つ取っても、フィクションにモラルを持ち込もうとすることの愚かしさは明らかです。たとえそれが反社会的・犯罪的なものであっても、そのような架空の表現を嗜好する者と、そのような行為を実際に行なう犯罪者とは、ハッキリと区別されるべきで、前者の人権を認めることこそが、真に民主的な社会の態度と言えるでしょう。
 

(3) 「子どもポルノに対する日本の法律」

G8中で児童ポルノの単純所持を禁止していないのが日本とロシアだけだ、というのは確かですが、同時に、日本の「児童ポルノ」の定義はG8中で最も広範な定義になってることにも触れるべきです。
児ポ法では「衣服の一部をつけておらず」「性欲を興奮・刺激しさえすれば(実際に性交やそれに類する行為を伴わなくても)」アウトという扱いなので、欧米では普通に流通しているような、芸術性を伴う児童のヌード写真集も(それが性欲を興奮・刺激させるかどうかは司法判断のため、違法となるリスクを完全に避けるために)日本では全く発刊できなくなってしまっているという実状があります。
この状況で単純所持禁止が施行されれば、児童の裸体ないし水着などの姿態を収めた記録は(たとえ自分の子供のものであっても、自分自身の幼少時代のものであっても)全て廃棄しなければ、誰もが嫌疑をかけられるという恐ろしい混乱が生じます。十徳ナイフで銃刀法違反を問う警察の現状を鑑みれば、被害妄想とは言い切れないでしょう。単純所持禁止が見送られてきたのには相応の理由があるわけです。
これらのことを踏まえると、インターネットホットラインセンター(IHC)の吉川氏のコメントなんかはもう論外です。そもそもIHCは「これ違法情報/有害情報なんじゃないの?」という市民からの問い合わせを受けて、当該情報の発信元・プロバイダなどに照会して対応を促す機関なのですが、問い合わせは必ずしも(法律的観点から見て)妥当なものばかりではなく、問い合わせた人の主観判断によるものも含まれます。エロゲとか嫌いな人なら、エロゲとかも「児ポ法に引っかからないの?」と問い合わせたりするでしょうが、当然、引っかかりません。そのことをもって「通報の中には(現行法の定義では)児童ポルノと認められないものもある」=「現行法の児童ポルノの定義は緩い」としているこのコメントは論理にすらなっていません。彼自身がそれらの表現は規制されて当然のものだという先入観・個人的嗜好に則ってセンター運営しているとも受け取れ、果たして機関としての公正さが保たれてるのか疑問にすら感じます。
 

(4) ひとり歩きする数字

スライドショーの最後には、「世論調査の9割が単純所持禁止を支持し、6割がフィクションの規制を支持している」との主張がなされています。これはここ最近いろんなメディアで取り上げられる数字ですが、大元はこの内閣府調査(PDF)です。
確かにこの資料の「6 児童ポルノの単純保持の規制について」と「7 実在しない子どもの性行為等を描いた漫画や絵の規制について」の結果を見ると、彼らの主張のとおりです。しかしこの調査結果を検証するうえで本当に重要なのは、この調査の調査方法と「1 国の有害情報に対する取組の認知度」についてです。
資料の1ページ目には調査方法が「個別面接」とあります。調査結果が完全匿名とはいえ、このような案件について、面と向かって「規制強化反対」と唱えることができる日本人がどれだけいるでしょうか?調査自体も平日の日中に行なわれていてサンプル自体が偏っているとも言われているし、資料中で比較されている14年度の調査を請け負った団体は日常的に統計の不正を行なっていたとされており、そのときのデータをそのまま採用しているなど、この資料そのものが統計的な信憑性について疑わしいのです。
加えて、1つ目の質問「1 国の有害情報に対する取組の認知度」を見れば分かるとおり、回答者の多くはこの件についての国の取組みをほとんど知りません(30%未満)。にも関わらず、規制強化の声は強い(軒並み80%以上)。つまり回答者の多くは、この件についてほとんど興味や関心が無いんだけど、回答を求められた以上「規制したほうがよい」と言っておこうという思考で回答した可能性が高いと言えます。認知度の回答とそれ以外の項目の回答についての相関関係を取ればこの傾向がどの程度なのか容易に明らかにできるはずですが、あえてそのような分析を添えなかったようにも見えますね。
これらを踏まえ、改めてスライドショーの文言を見てみると、確かに嘘は言っていませんが、文言から受けるような「国民の大半が規制を求めています!」などという印象は幻想でしかないとわかります。
 

(5) 人権は誰かの占有物ではない

上掲ニュースでは、アグネス・チャンによる会見において被害者児童の手紙を読み上げる様子が伝えられていますが、そのような人がいることと、我々が(例え反社会的な内容であろうとも)フィクションを製造したり視聴したりすることと、何の関連があるのでしょうか。前者の人権を守るために後者の思想・信条・表現の自由を取り上げる?後者は何ら犯罪も犯していない・被害者に実害を及ぼしているわけでもないのに?
彼らは、自分たちが守りたい対象の人権のためなら、それ以外の人々の人権なんてどうでもよいと考えているように見えます。このような態度は、リベラルとは程遠いと言えるでしょう。
 

(6) またもひとり歩きする数字

上掲ニュースでは、児ポ法による検挙数が急増してると煽っていますが、その根拠となっているグラフ・統計は、根拠とするにはまったく出鱈目だという指摘がなされています。
 

(7) 日本はポルノ大国?

上掲ニュースの中では、インターネットを通じて日本中に児童ポルノが流通してる、との日本ユニセフの主張が紹介されています。これもよく聞く主張ですが、いささか誇大だと思います。直近の根拠として挙げられるのはイタリアの児童人権保護団体が数年前に行なった調査結果で、日本がワースト8位だった、というもの。でもこれも比率見ると・・・1%未満だったりします。これは人口比やネットの普及率から言えばむしろ驚異的に良好な結果だと思います。
規制推進派はよく欧米基準も引き合いに出しますよね。欧米よりも規制が緩いから環境が悪化してるんだ、みたいな。しかし実際の犯罪の統計を見てみたらどうでしょう。表が大きいので比較しにくいかもですが、日本と欧米各国の項だけ比較してみても、日本の治安は飛び抜けてよいことがわかるでしょう。カナダなんかは道徳を堕落させる罪とか言ってフィクション中で犯罪を描くことすら罪に問われるそうですが、実際の犯罪統計上では、殺人で日本の3倍、強姦で日本の30倍、強盗で日本の20倍、という結果。仮に日本の規制が諸外国に比べ緩いのだとしても、めちゃくちゃ規制の厳しい国より実際の犯罪統計で良好な状況にあることを考えると、果たしてそれらの国々の規制のあり方をそのまま日本に持ってくることに意味があるのか、普通は疑問に感じますよね。
 

これだけ見ても、彼らが美辞麗句を並べ立てて(自分たちに都合の悪い事実を隠して)うまく規制強化に賛同させるよう仕向けていることが見て取れます。規制とはそれすなわち誰かの自由や権利を部分的に縛ること、つまり人権を削るということです。たとえその目的が別の誰かの人権を守るためであったとしても、人権は平等であり、誰かの人権が他の誰かの人権に対して一方的に優先することなど無いわけですから、お互いの人権の範囲がどこまでなのか、線引きをするために公明正大かつ慎重な議論を要するはず。それなのに彼らは「子どものため」という錦の御旗を振りかざしてフィクション規制をはじめとする様々な暴論を主張しています。人権に絡む問題を取り扱う態度としてはいささか不誠実すぎるのではないでしょうか。

 

 
(08/11/22 追記)書式を整えてタグを付けました。