フィクションのリアル

自称理系さんが超電磁砲にツッコミの件。


確かガンダムセンチネルのムックかなんかで読んだ「SFだから・フィクションだからと言って、普通じゃない現象を何でも気軽に描いていいことにはならない」という趣旨のコラムを思い出します。「人型兵器の説得力を持たせるべくミノフスキー物理学という大きなウソを導入したが、それによって従来の物理学=現実の物理法則を無視していいわけではない」「その大きなウソと現実の物理法則とを整合的にまとめ描きあげることによってこそフィクションのリアリティが増していく」「例えば、ミノフスキー物理学があったとしても、リンゴは現実世界と同じように落下するはずで、そのような現実の物理法則については徹底して忠実に描くべき」「設定の根幹を成すいくつか大きなウソを導入したら、それ以外の細かい辻褄あわせのためのような小さなウソを使わないようにすることが重要」等々。


例えば、魔法の存在する異世界を描いた作品の中で、不意にテーブルからスプーンが落下するシーンがあって、その落下の様子が不自然だった場合、「いまのスプーンの落ち方おかしくね?」という指摘は当然のように出てくる。そのことについて取り立てて作品内での特別な意味づけが無いにもかかわらず、そこで「いやあ異世界ではスプーンの落ち方が違うんですよ」とか「あのスプーンには魔法がかかってたんだよ」とか言うのは、笑い話にはなるかもしれないけど、擁護にはならないでしょう。
そうやって不条理なことを何でも「フィクションだから」で済ませてしまうと、結局は「物語のためにいくらでもご都合主義的なウソを重ねるつもりなのね」という印象を受け手に与えることになって、どんどん作品のリアリティは落ちていってしまう。魔法の存在する世界にリアリティを持たせたかったら、「魔法が存在する」という大きなウソ以外の物理法則については、現実の物理法則に忠実に描くことを心がけなきゃいけません。


他方で、何かしら専門分野を学んだ人にとっては、普通の人は気にしなくても、その人は気にしてしまうような「専門分野での常識」ってのが出てくるわけですが、その常識が作品中で無自覚に破られてしまってたりすると、上掲で引用されてるスレのようなやりとりが生じてしまうわけですね。つまり当該スレの彼にとっては、超電磁砲における風車が、前述の例で言うところの異世界のスプーンだったということ。
だから、たとえフィクションを描くときであっても、その作品中に登場させるつもりのモノが現実にどうなっているのかをきちんと取材することが大事なわけですね。取材せずに思い込みで描いていたら、物語の本質には全く関係の無いところで本当は必要の無い小さなウソを無自覚についてしまう危険があり、そのモノをよく知る受け手から「いいかげんだ」と思われてしまう。逆にきちんと取材をして、大きなウソの周辺を現実的な描写で固めることができれば、自ずと作品のリアリティは増してくる。
例えば、のだめカンタービレが絶賛されていることの理由の1つには、作者本人は音楽をやらないのに、クラシック業界への取材をきっちりと行なって、業界人も納得するほどに業界の空気感を再現しているという点があります。千秋&のだめのキャラや彼らの辿る道筋が少なからず突飛であっても、そこに説得力が生まれてくるのは、取材の積み重ねに裏付けられた描写があるからだと思います。


翻って、禁書にしろ超電磁砲にしろ、そういったところの脇の甘さは否定できないでしょう。風車なんかに限らず、もっとクリティカルなところでおかしい部分はいっぱいあるし、正直「リアリティなんざ犬にでも食わせておけ」ってノリなのは明らかです。
と言うか、ファンの人たちも多かれ少なかれそういうもんだと割り切って楽しんでるものと思ってたんですが、スレの引用内容を見る限り過敏に反応してる人も少なからずいる様子。もちろん自称理系の彼も、風車に固執しちゃう程度には割り切れてないわけですが、その彼に対して「未来都市だからいいんだよ!」とか言って風車を正当化しようとするのは残念ながら「スプーンに魔法がかかってた」レベルの主張にしかなってません。そこは正直に「それっぽい雰囲気を出したかっただけだろJK」「厨二作品でサーセンwww」って開き直るべきところなんじゃないかと。別に好きな作品に1つ2つ欠点があったっていいじゃん、ご愛嬌でしょ?