どうなりますやら


例の条例案ですが著名な方々が反対意見を表明してくれたそうで。出版労連も判定意見を各会に送付してくれたそうです。ネット規制の方面で反対してくれてる団体もいるようですし。
否決されるかどうかはまだ不安が残りますが、これだけ多くの人が問題意識を共有していることは大変喜ばしいことですね。まだまだできることがあるならメールなり何なりで動いていきたいです。


本件に関しては一般紙の内容が過激になってるのが理由だから自業自得だとか的外れなことを言う人もいるようですが、そもそも現行の条例でも過激な性描写は規制されているのであって、本当に“ルールを破った”事例があるなら有害図書に指定できるはず。それをしないのは単に警察の怠慢。現行の条例で取り締まるべきものを放置しておきながら、それを規制強化の根拠にするなんて、ただただ権力強化したいだけにしか見えない。


「子供のためなら何を規制してもいい」みたいな原理主義者もいるみたいだけど、お決まりの反論としては(前述したとおり)「現行の条例で取り締まれるし取り締まらないのは警察の怠慢であって規制強化の根拠にならない」とか「犯罪を描写した表現物が犯罪を助長するという科学的根拠は未だ無い」とか「にも関わらず規制を進めるのは規制対象に関わる人々への人権侵害にしかなってない」とかがありますね。
それらを抜きに考えても、表現の自由を容易に制限してしまう=価値観の多様性を認めない社会を勝手に構築しておいて、次代を担う子供たちにそれを引き継ぐというのは、彼らのためにはなってないでしょ。こういうこと言う人って、自分の掲げる“清く美しい価値観”こそが正しくて子供はそれに染まって成長すべきみたいな考えの人が多いけど、それってただの思想統制じゃないかと思う。


あとは去年の性暴力ゲーム論争のときもあったけど表現そのものが脅威だと言う人ね。そのためにゾーニングがあって、成人でも望まない人の目には触れないようにする配慮がなされてる。もちろん配慮されてない場面が皆無とはとても言えないけど、ならばゾーニングを徹底すれば済む話で、いきなり「表現行為を根絶すべし」とまで断じるのは極論。
性暴力ゲームを愛好してる人を嫌うのはもちろん個々人の自由だけど、その愛好が犯罪と同一だから規制しろと言うのは(その愛好を犯罪として扱うべき科学的根拠が無いなら)差別じゃないかと。てか、これってさんざん批難されてる「女性は自衛すべき論」の裏返しだと思うんだけど。「性暴力ゲーム愛好家を警戒すべき」論。男は狼じゃないのだから、と言うのなら、性暴力ゲーム愛好家だって狼じゃない。もちろん、性暴力ゲーム愛好家が狼で無いようにあるべきという意味ですが、ならばなぜ性暴力ゲームへの愛好が犯罪と同列に語られてしまうの?という。それって性暴力ゲームを愛好する者の理性を、他よりもみくびってるってことでしょ。
具体的事例として目の前にいる女教師に対し“女教師レイプモノが好きと公言する同僚や生徒”は確かに脅威に感じるだろうけど(つかこの時点でゾーニングが破れている)だからこそセクハラって概念があるわけで、そのように公言する当人のハラスメント気質こそを問題にすべきであって、この世に“女教師レイプモノ”が存在することそのものの問題ではない。おそらくそのような輩は“女教師レイプモノ”が仮にこの世に存在しなかったとしても、他者の尊厳に無自覚な言動で脅威を振りまくと思うし、そしてそのような気質は、必ずしも性暴力ゲーム愛好家に特有の気質でも顕著な気質でもなく、この一例をもって性暴力ゲーム愛好家全体を判断する話でもない。
個人的に不快感を覚えた経験だったり、一部の性的嗜好に対する個人的な嫌悪だったり、そういったもろもろが結びついてこういう主張が出てくるんだろうけど、何が実際の脅威になってるのかを混同しているように思います。


条例案が通ってしまわないか不安は大きいですが、希望は捨てずにおきたいと思います。