人が住んでんねんで


日本の景観がよろしくないと怒るアメリカ人のお話。確かに、均整の取れた芸術作品のように鑑賞する感性で見れば、日本の町並みを醜悪だと感じるかもしれないけどね。
ただ、ずーっと前にも書いたような気がするけど、最初から都市計画に基づいてガチガチにコントロールされて見た目が整ったように作られていたとしても、そのことが必ずしもその町の熱量を上げることにはつながらないし、むしろかえって熱量を下げさせる・上げさせない方向にすら働きうる。


例えば秋葉原ではビルの一面全体を使ったアニメやゲームの広告が出されていることがあって、あんなのはまさに景観との調和なんて考えられてすらいないだろうけど、だからといってそういった類の広告を秋葉原から全て取り除いて、欧州の町並みのように全ての建物を同じような外観に揃えたとして、はたして従来の秋葉原が持っていた熱量を失わずに存在し続けられるかといえば、おそらくNOだよね。
建物の外観だけの問題に限らず、区画整備やインフラなんかもそう。都内各所の人が集まる地域ってのは往々にして色々な店なんかが雑多に集合していて、区画整備やインフラなんかもそういった既にある状況に合わせて場当たり的に作られたり更新されたりしてるから、基本的に雑然としたものになる。それを綺麗に整えるためにテナントを一旦どけて、区画整備からインフラの敷設まできれいに整え直してから再びテナントを入れなおしたとして、やはり以前と同じ活況を取り戻せるようには思えない。


もちろん程度問題ではあるんだけど、現に、そうやって自然発生的に人が集まってからその場の利便性重視で町作りをしていくことで人々の活性度が抑制されずに済んでいるという側面があるわけで、その事情を考えずに景観の善し悪しだけを論じるのは、町の果たす機能には一切の関心を寄せずに町の見てくれだけを評価する態度であって、実の無い空っぽの議論のような気がします。何というかこの人、町と距離をおいて眺めるばっかりで、その町の中に飛び込んでその町固有の経験を楽しんだりしたことがないのかな〜とか思っちゃいます。そういう経験があれば、入り組んだり狭かったりする路地に建物がひしめき合い、派手な看板や広告などで彩られた雑然とした町並みも、その姿からその町の放つ熱量を感じ取ることができそうなものなんだけど。


個人的には、美しい景観も良いけど、ワクワクさせてくれるような雑然とした町並みも大好きです。