萎縮の意味


そんなわけで条例案が可決されましたよっと。
直前になって管首相がブログで言及したり仙谷官房長官が記者会見で言及したりしたけど、もう総務委員会で可決されてしまってたので後の祭。条例案が明らかになるのがあと一週間早ければ、出版社のTAFボイコットが決まりそれが大々的に報じられるのも一週間早かったはずで、そうするとこの2人の発言で都議会民主党の方針が変わって否決に持ち込めてた可能性も無くはない。政府として都議会に意見するのは地方自治への国政の介入になってしまう*1にしても、民主党の役職持ちの立場から2人が党内意志決定として民主党の都議員を説得したり指示したりすれば・・・と思ったけど、今の民主党執行部は党内求心力も弱そうだから、どっちにしろ望み薄だったかもね。


んで、この条例で懸念された「表現の萎縮」ということ未だに理解できない(あるいは理解してないフリしてエロ漫画の問題に矮小化しようとしてる)人もいるようなので、拙いながら例を挙げて説明しとく。
ある漫画家が、次のようなプロットの漫画を描こうと考えたとしよう。


(1) 芸能界トップスターを目指す少年が、大手アイドル事務所のオーディションに受かる。
(2) 持って生まれた才能か、それとも努力の賜物か、少年は次第に頭角を現してくる。
(3) しかしあるとき、事務所の社長に言われて、少年は大きな仕事の関係者に体を売ることを求められる。
(4) はじめは戸惑うものの「受け入れられないならスターの道は諦めろ」と言われて、受け入れてしまう。
(5) その後ひどく落ち込むものの、一夜のことと割り切って次々に仕事に取り組み、人気も上がってくる。
(6) しかし人気になればなるほど、折に触れて体を求められるようになり、「トップスターになるため」と自分をごまかし続けるも、嫌悪感と強迫観念の板ばさみで徐々に心を病み始める。
(7) 精神的に追い詰められ、ある時ステージに立てなくなってしまう。
(8) 事務所から休養するよう言い渡され、静養のために訪れた田舎町で、スターである自分のことをまったく知らない少女(田舎だから)と運命的な出会いをする。
(9) 少女と共にいることに幸せを感じ、スターとして自分が歩んできた道は虚飾でしか無かったと思い至る。そしてその過程で体を売ったことを酷く悔いる。
(10) 自らの体を売ったことを少女に伝えるべきか悩んだり、2人の関係を終わらせようと事務所の息のかかった人間がそのことを少女に教えたり、でも少女は少年のことを受け入れたり、いろいろあって2人は結婚して幸せな家庭を築きましたとさ、おしまい。


単に例として挙げただけなので、「陳腐なプロットだ」とか「つまらなさそう」とかいうツッコミは無しの方向でw


結論から言うと、可決された条文の下では、この漫画を青少年向けに雑誌連載することはできないよね。というのも、連載が(3)〜(5)にさしかかったとき「少年は仕事のために自分の体を売る行為を肯定してる」描かれ方をする(だからこそ(6)で葛藤が鬱積していくことになる)はずで、誌面に掲載されたその回だけを取り上げられたら、(未だ描かれていない先の話の中で振り返ってその行為が否定される予定であっても、それが未だ描かれてないがゆえに)「社会規範に反する性行為を賛美している」とみなされる可能性がある。そしてそのような可能性が生じてしまったら、実際に都がそのようにみなすかどうかはもはや関係なく、「販売できなくなる可能性があるので内容を変えませんか?」と出版社が作者に対して自粛を迫ることが大いにありうる。


これが「表現の萎縮」ということ。すなわち、線引きが曖昧だから、出版社や作家は取締りを避けるために過剰な自粛をしなければならなくなってしまう、それが問題。規制反対派が「線引きが曖昧だ」と批判するたびに推進派は「乱用しないから安心しろ」と言ってくるけど、条文に書かれてない口約束をどう信じろと?特に近頃は、当の警察・検察の横暴が問題視されてるっていうのに。*2
さらに付け加えると、上の例で見たように、性について言及しなければ描けない物語というのは確実に存在するし、そのような物語の中にはむしろ青少年こそ読むべきものというものも少なからずあるのではないでしょうか。もちろんそのような内容の漫画も「子どもに読ませるべきでない」という意見はあるかとは思うけど、それは個々の作品・個々の子どもについて個別具体的に論じられるべきことであって、今回のような条例で十把一絡げにバッサリ切り捨てられてよいわけはないでしょう。


なので、「今回の条例によって表現が萎縮する」ってのは、反対のための単なる建前などではなくて、現実にそうなっていくと思うよ。短絡的な人は「エロで儲けてた出版社ざまあ」みたいに考えるかもしれないけど、見えない線引きに抵触しないように出版社や作家が“穏便な”表現を志向するようになり、結果として漫画全般がどんどん淡白な内容になっていく≒心を揺るがすほど衝撃的な作品が減っていくと思う。そうすれば世界に誇る日本の漫画文化なんてのは簡単に力をなくして、世界をリードしうる産業が1つ無くなることにもなりますね。
そんな逆境だろうとひるまずに描くのが作家だ、というマッチョイズムもどこからか聞こえてきますけど、それって無用なリスクを負わされている作家さん達に向かって「命を賭けろ」って言ってるのも同然で、今回条例成立を阻止できなかった規制反対派はもちろん、そのリスクを負わせることに加担した規制推進派が言うことじゃないだろと。


そしてこのタイミングで石原慎太郎オンリーイベントとか開くみたいだけど、具体的個人を扱う作品は一歩間違えれば名誉毀損だし、風刺としてウィットの利いていないような、特に八つ当たり的な内容の作品なんかが出回っちゃうと「規制反対派はこの程度の連中だ」みたいに逆効果になるような気がするんですが・・・。
開催するなとも描くなとも言いませんが、参加する人は相応の覚悟と矜持でもって臨んで欲しいです。

*1:まあ本条例自体が憲法違反でありうると考えれば、逆に地方自治の裁量範囲を逸脱した条例制定と見ることもできるけどね。

*2:つか、法や条例はどんな人間が執行者になろうともブレずに機能するよう制定されるべきであって、暴走の防止を執行者に対する信頼によって担保しようとする言い分がそもそもおかしい。