カオス*ラウンジの活動はアートとして無価値!ちぃ、おぼえた!


あれから一週間たち、その間に梅ラボ本人が謝罪文らしきものを出したものの、なんとも陳腐すぎる内容でモニョる。


彼らの宣言文によれば、そもそも彼らの活動は、インターネット時代のアーキテクチャ上に現れる、主に匿名によって創出されたり発生したりする様々なモノや現象を、自分達の作品へと導入・反映することで、今の日本のリアルさから遊離した舶来アートの文脈とは異なる、2010年代のアートの潮流を作り出したい、ということのよう。
これをまあ大前提として踏まえましょう。でも前掲の謝罪文モドキで語られている制作動機は、この前提と乖離してるんだよね。少なくとも宣言文においては、彼らはアーキテクチャ上に現れる事象を直接的な対象として参照することになっていて、その事象の背後にいる1人1人の生身の生活観・現実感のようなものは捨象されているか、あるいはアーキテクチャ上に現れる事象を通して読解されるもののはず。しかし、梅ラボ氏は件の作品の構成について「かつての日常であったキャラクター達と、打ち捨てられたキャラクター達が、一緒くたになって地に流されている構成です」と説明していて、それはアーキテクチャ上から読解されたことでも何でもなく、単に梅ラボ氏が被災地に足を踏み入れて見てきた光景の反映でしかない。
もちろん、今回の震災でもたらされた被災地の光景というものは、作家の感性に大きなインスピレーションを与えるであろうことは否定しないけど、カオス*ラウンジとしての活動がアーキテクチャに軸足を置くことを前提とする以上、現実世界の光景を元に作品制作するのは違うでしょう。というか、「被災地の光景にインスパイアされた破壊と再生のイメージを2次元キャラのコラで表現しました」ってだけでは、今までのアートでもありえた「被災地の光景にインスパイアされた破壊と再生のイメージを○○で表現しました」の単純な焼き直しでしかなく、全く面白みが無いよね。アートにおいて2次元キャラを表現に採用することの新規性は、そうすることによって2次元キャラが受容されている場(=インターネット上のアーキテクチャ)の文化がそこに吹き込まれることにこそある(少なくとも宣言文はそういう主旨のことを言っている)のであって、そういう工夫をせず単に見てくれとして2次元キャラを画材代わりに使うだけではほとんど意義が無い。
だから今回の震災に関しても、むしろ作家は被災地を直接見るべきではなく、アーキテクチャ上で震災がどのように受け止められているかこそを作品に込めなければならなかった。オタク界隈に限って観測してみても、例えば、連日TVで流れた被災地のどんな光景よりももしかしたら津波で破壊された痛車の写真がオタクたちに被災地の痛ましさを伝えたのかもしれないし、震災直後に放映されたアニメによって何とか希望を持てたオタクたちもいたのかもしれないし、他方でうっかり津波場面を放映したアニメを見てマズいんじゃね?と思ったオタクたちもいたようだし、連日流れたCMをいじって遊んでた(それで気を紛らわせていた?)オタクたちもいた。そして2ヶ月半たった今、多くのオタクたちは震災以前と変わらぬ日常を楽しんでいる(か、そうであろうと振る舞おうとしている)。こうやってざっと振り返ってみるだけでも、アーキテクチャ上の事象だけで十分に震災前後の推移を表現できうることがわかるし、それらの要素が制作の着想に無かったのだとすると、これはもうふたばのニワカとかお客様だとか言う以前に、ネット上で起きてる事についてのアンテナが低すぎて、「アーキテクチャに〜人為的に介入を試みる」とか恥ずかしくて口が裂けても言えないレベル。
まあそもそも、「震災の前後でオタクのあり方が決定的に変わる!」という思想そのものがどっかの偉いおっさんの主張を丸呑みしただけのもので、全く咀嚼できてないからこんな消化不良な作品にしかならないんだろうけど。


ふたばとの間に生まれた軋轢についてもそう。アーキテクチャを読解してアートに反映することを標榜している作家集団が、そのアーキテクチャの文化を読めてなくて炎上するとか笑い話にもならねぇよ。こういう事態を引き起こしているというだけでもう、カオス*ラウンジは自ら掲げたその理念・目的を実行・実現するだけの能力・技術に欠けているということの何よりの証明になってしまっている。アーキテクチャから画像を引っ張るだけ引っ張っておきながら、その画像がそのように発生し配置されているコンテクストや、そのコンテクストの土壌となる文化に対する理解が浅薄なのが丸分かり。本当なら画像そのものの美醜などとは関係なく、そのコンテクストや文化の中におかしみを見出したことをもってその画像を掲げることこそ(宣言文で言うところの)カオス*ラウンジの目指すアートだろうに。
それでもまあさっさと作品を取り下げてればまだ単なる事故で済んだのかもしれないけど、頑として取り下げず、その理由が金?アーティストが金を稼いではいけないだなんて言うつもりは全く無いけれど、金のために自分達の理念や美学を捻じ曲げて堂々としているような連中の作る作品にアートとしての価値があるとは思えないし、それを絶賛したり誇らしげに飾ったりする人の審美眼や批評力にも疑問符が付きます。
こんな体たらくでは、「ネット上に溢れる匿名作品の芸術性をコラによって掠め取りたいという己の欲求をアーキテクチャ(笑)という題目で取り繕ってるだけだろ」と思われても仕方ないですし、今後表面上は炎上が収まったとしてもカオス*ラウンジの活動にはアートとしての価値が無いと記憶され続ける結果になるでしょう。