劇場版まどか(後)感想


先週に引き続いての劇場版まどか鑑賞。後編の封切に合わせていくつかグッズも再入荷していて、いちおう回収できる範囲では買い揃えておきましたが、まだまだ手に入れたいものは手に入らず。もうしばらく劇場通いを続けざるを得ませんか。


内容としては前編と同じく、絵に手を加えられた総集編の域を出ず。最後の最後に、続編となる次の映画の予告が割としっかり目に入っているので、そこだけが(物語としては)完全新規といったところ。何か新しい要素があるに違いない、と(勝手に)期待していただけに、肩透かしを食らった感はありますね。
パンフレットによれば「手を加えていないカットは1カットもありません(キリッ」by監督とのことだし、アフレコの録り直しをしたとか劇伴を変えたとか、まあ色々と細かく手を入れているんだろうけど、正直なところ、前編についても指摘したとおり、映画としての据わりの悪さというか、1本の映画としてまとめきれてない感じがあります。
TVシリーズ用に作られた元の脚本をほとんどいじれず、結果的にこうなっちゃうんだったら、前後編ではなく上中下編(1〜3・4〜9・10〜12みたいな構成)の3本立てにすることも検討すべきだったんじゃないかと。商業的にどうしても2本にしなければならない制約があったのなら、絵や声や音楽をいじるよりも前に、脚本をもっと大きく変更して映画としてスリムにスッキリとまとめるべきだったと思います。翻って、劇場版なのはシリーズがいかに頑張ってるか、みたいな。


以下、ネタバレあり。






後編に関してだけ言えば、TVの10話ラスト部分でコネクトを入れるなら、ルミナスを入れる必要は無いでしょ。TVシリーズから見てるファンは理解できても、劇場で初めて見る人間には「何故ここに歌(コネクト)が入るの?」と不思議がられるから、コネクトを入れるならルミナスを入れずにコネクトをOP扱いにすべきだし、ルミナスを入れなければならない制約があるならコネクトは諦めるべきだった。
エピローグも同様で、夜の街のほむらと荒野のほむらのシーンを分けるためだけにコネクト2番を入れているため、コネクト2番が流れた後、荒野のほむらの(非常に短い)シーンが終わってすぐKalafinaのEDが流れる展開になってしまう。そんな構成になるくらいなら荒野のほむらシーンをいっそ無くしてしまって、そこに歌を挟む必要を無くしたほうがよかった。特に、次の映画がこの続編という位置づけであるなら、必ずしも荒野のほむらのシーンを入れなくてもいいわけだし。
どちらもTVシリーズでの構成に引きずられすぎてる気がするんですよね。パンフレットを読むと、これらの点について新房総監督は「映画としてのまとまりは悪くなるかもしれないけどファンサービスとして入れたい」と意図的にやったみたいですが、そこは映画としてのまとまりを優先して欲しかったかも。


前後編を通して考えると、前編は8話まで詰め込んだ関係上かなり色々なシーンが切られている一方、後編は残り4話なのでほとんど切らずに済み、そのために話の展開の早さが前編と後編で違ってきてしまっています。見ていて人間の頭にしっかり入ってくるテンポ&尺の長さという意味では、やはり後編くらいの内容がせいぜいで、改めて振り返ると前編は話が目まぐるし過ぎたように思います。
加えて気になった点としては、後編においてメガネほむらが転校してくる一連のシーン(TVの10話序盤)の中で、勉強もできず運動も苦手なほむらの様子が描写されますが、それに対比されるべき裸眼ほむらの勉強も運動もできる美少女としての描写(TVの1話中盤)が、前編ではカットされてしまっている。
話全体の尺の長さを無理矢理に映画2本ぶんに詰め込もうとした結果としてこれらの問題が生じていることを考えると、やはり無理に切り詰めることを考えずに3本立てにするべきだったんじゃないの?と思わずにはいられない。


話そのものは悪くないだけに、非常にモニョる感じの映画化でした。


続く3作目は、本作の続きにあたる話になるようですが、パンフレットによればこの3作目の映画では物語は終わらないとのことなので、さらにそれに続く展開があるということなのかもしれません。*1
2013年公開だそうなので、それまで首を長くして待ちますか。

*1:ストライクウィッチーズの映画もそんな感じでしたけど、その後に何か目立った動きは無く、もうすぐ発売のBDにあわせて何か告知があったりするのでしょうか。